土に祈り、橋を架ける  行基と民のための仏

 土に祈り、橋を架ける — 行基と民のための仏

「仏は、寺の中にだけ在るものではない。」
そう語るように、行基(ぎょうき)は奈良時代の空を見上げながら、
田畑を歩き、橋を架け、池を掘り、民の暮らしに仏の心を宿しました。

寺を出て、民の声を聴く

当時の仏教は、国家の守りとして寺院に閉じ込められていました。
しかし行基は、仏の教えは民の中にこそ根づくべきだと信じ、
寺を出て、畿内を巡りながら布教と社会事業に身を投じます。

彼が築いたのは、49の寺院、15の溜池、6つの橋。
それは単なるインフラではなく、祈りのかたちでした。

「橋は、心をつなぐもの。池は、命を潤すもの。」

弾圧と共鳴 — 民衆の力が仏を動かす

朝廷はその行動を異端とし、弾圧を加えました。
しかし、行基のもとには多くの民が集まり、行基集団と呼ばれる協働の輪が生まれます。
設計、資材、技術者——すべてが民の手によって動き、
2年で15の寺院を建てるという奇跡のような事業も成し遂げました 。

その姿は、民衆とともに歩む仏教の原型であり、
現代の「共創」や「地域文化」の源流とも言えるでしょう。

大仏への道 — 祈りの集大成

晩年、聖武天皇に請われて、東大寺の大仏造立に奔走します。
「一握りの土でもよい、心ある者は差し出してほしい」
という詔に応え、全国を行脚して寄付を募りました。

そして、78歳で日本初の大僧正に任命される。
その称号は、権威ではなく、民の信頼と祈りの証でした。

今、行基を語る理由

現代の社会もまた、分断や孤独を抱えています。
そんな時代に、行基の「民とともに在る仏教」は、
文化と暮らしをつなぐヒントを与えてくれます。

WABISUKEが紡ぐ布や言葉もまた、
誰かの暮らしに寄り添う祈りのかたち。
行基の物語は、ただの歴史ではなく、
今を生きる私たちへの静かな問いかけなのです。

 

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