神武天皇  はじまりの風、国を照らすひかり

 

神武天皇──はじまりの風、国を照らすひかり

遥かなる時の彼方、神話と歴史の狭間に、ひとりの若き王がいた。
その名は、神倭磐余彦(かむやまといわれびこ)。
後に「神武天皇」として知られるこの人物は、天照大神の血を引く存在として、天と地の間に立ち、国を導く使命を帯びていた。

彼の旅は、西の高千穂の地から始まった。
霧深き山々を越え、川を渡り、幾多の困難を乗り越えながら、東の地を目指した。
その歩みは、ただの征服ではなかった。
それは、天と地の調和を求め、神々の意志を地上に映し出すための、祈りに満ちた巡礼のようなものだった。

やがて彼は、橿原の地にたどり着く。
そこは、山と水が調和し、風がやさしく吹き抜ける、まるで神々が微笑むような場所だった。
この地に立ったとき、神倭磐余彦は「国をしらす」者──すなわち、民とともに国を育み、未来へとつなぐ者として、初代天皇・神武天皇となった。

「神武」という名には、「神のごとき武(たけ)」という意味が込められている。
しかし、その「武」は、剣の鋭さや力の誇示ではない。
それは、風のようにしなやかで、雨のように静かで、光のようにあたたかい。
人々の心を結び、争いを鎮め、共に生きる道を照らす、内なる強さの象徴であった。

旅の途中、神武天皇は八咫烏(やたがらす)に導かれた。
三本足の神鳥は、天の意志を伝える存在として、彼の進むべき道を照らした。
山の神に祈り、海の神と語らい、大地の声に耳を澄ませながら、神武は自然と共に歩んだ。
その姿は、自然と人とが共に生きる「和(やわらぎ)」の理想を体現していた。

「国中の人が、一つ屋根の下に暮らす家族のような国を創ろう」

この言葉は、神武天皇が建国の詔に込めた理念であり、今もなお、日本人の心の奥に息づいている。
それは、血のつながりを超えて、共に生きることを尊び、互いを思いやる心を大切にするという、日本の精神の根幹である。

神武天皇の治世は、神話の霧に包まれている。
けれども、その物語が語り継がれてきたこと自体が、私たちにとっての大切な「記憶」であり、「祈り」なのだろう。
歴史の事実を超えて、神武天皇の存在は、私たちに「はじまりとは何か」「国とは何か」「共に生きるとはどういうことか」を問いかけてくる。

奈良の橿原神宮に立つと、風が静かに語りかけてくる。
「ここが、はじまりの場所。けれど、終わりではない」
その風は、神武天皇の旅路をなぞるように、私たちの頬を撫でてゆく。
彼が見たであろう山々、彼が祈ったであろう空、彼が耳を澄ませたであろう川のせせらぎ。
それらは今も変わらず、私たちの足元に広がっている。

神武天皇の物語は、過去のものではない。
それは、私たちの中に今も続いている。
日々の暮らしの中で、誰かを思いやる心。
争いを避け、和を尊ぶ姿勢。
自然と共に生きる感覚。
それらすべてが、神武天皇の「はじまりの風」を受け継ぐ証なのだ。

美しき国とは、ただ美しい風景を持つ国ではない。
それは、心の奥に「和」の種を宿す国。
人と人とが響き合い、自然と共鳴し、未来へと祈りをつなぐ国。
神武天皇が蒔いたその種は、時を超えて、今も静かに芽吹き続けている。

私たちは、その芽を育てる者であり、次の時代へと手渡す者でもある。
神武天皇の物語を知ることは、ただ歴史を学ぶことではない。
それは、自らの「はじまり」を見つめ直し、これからの「道」を照らすことでもある。

今、私たちが立つこの場所も、また新たな「はじまりの地」なのかもしれない。
風が吹くたびに、神武の声が聞こえてくる。
「和をもって、国をしらせ」
その声に耳を澄ませながら、私たちは今日も歩みを進めていく。