喫茶去 (きっさこ) 茶でも一服、心のままに

喫茶去(きっさこ)— 茶でも一服、心のままに
風が少し冷たくなった午後、あなたに届けたい禅語があります。
「喫茶去(きっさこ)」——意味はとてもシンプル。「まあ、お茶でもどうぞ」。
でもこの言葉には、禅の深い哲学が静かに息づいています。
すべての人に、分け隔てなく
この言葉は、唐の時代の禅僧・趙州(じょうしゅう)が、訪れる人にかけた言葉として知られています。
修行僧にも、旅人にも、問いを持つ者にも、ただ「喫茶去」。
それは、相手の立場や問いの深さに関係なく、今この瞬間を受け入れるという態度。
「あなたが誰であっても、今ここにいるなら、まずはお茶をどうぞ」
——それは、判断を手放し、ただ共にあるという優しさ。
秋の茶室にて
たとえば、紅葉が舞う縁側で、湯気の立つ湯呑みを前にしたとき。
言葉はいらず、ただその場に身を置く。
「喫茶去」は、そんな静かな時間の中にある禅語です。
若い読者にも伝えたいのは、「正解を探す前に、まず一息ついてみよう」ということ。
スマホを置いて、深呼吸して、あたたかい飲み物を手にするだけで、
世界の見え方が少し変わるかもしれません。
WABISUKE流・喫茶去のすすめ
• 友達との会話がうまくいかないとき → 「喫茶去」してみよう。まずは一緒にお茶を。
• 勉強や仕事で煮詰まったとき → 「喫茶去」してみよう。脳みそにも休憩を。
• 自分に厳しくなりすぎたとき → 「喫茶去」してみよう。自分にも優しさを。