静けさのなかに、宇宙を彫る ー 本阿弥光悦とWABISUKEの精神

 

静けさの中に、宇宙を彫る — 本阿弥光悦とWABISUKEの精神

鷹峯の朝は、墨を流したような霧に包まれていたという。
その静けさの中で、本阿弥光悦は筆をとり、漆を塗り、土を捏ねた。
彼が築いた「光悦村」は、ただの芸術家の集落ではない。
それは、思想と美が交差する、ひとつの宇宙だった。

江戸初期、徳川家康から鷹峯の地を拝領した光悦は、
そこに陶工や蒔絵師、紙漉き職人たちを招き、
芸術と暮らしが一体となる理想郷を築いた。
自然と共に生き、創造の根源に立ち返るための場所。
それは、都市の喧騒から離れた、静謐なる実験場だった。

光悦は、刀剣の鑑定を家業とする本阿弥家に生まれながら、
その枠を超えて、書、陶芸、漆芸、茶の湯へと身を投じた。
彼の書は「寛永の三筆」と称され、
漆芸は「光悦蒔絵」として後世に大きな影響を与えた。
陶芸では、樂家とともに「光悦茶碗」と呼ばれる独自の美を生み出し、
そのすべてに共通するのは、「型を破る美」への信仰だった。

光悦の作品には、完成された技巧よりも、
内なる精神の揺らぎや、自然への共鳴が宿っている。
たとえば、彼の茶碗「不二山」は、富士を象ったとも言われる白楽の器。
その表面には、完璧ではないゆらぎがある。
それは、自然の摂理に寄り添うような、静かな肯定。
「美とは、整いすぎないこと」
その思想は、現代においてもなお、新鮮な問いを投げかけてくる。

WABISUKEが目指すものもまた、型の中に潜む余白を見つめること。
伝統の深みを讃えながら、現代の感性で再構築すること。
光悦が鷹峯に築いた芸術村のように、私たちもまた、
美と哲学が共鳴する場所を、言葉と色彩で編み上げていきたい。

WABISUKEのプロダクトや文章、空間づくりにおいても、
私たちは「不完全の中に宿る美」を大切にしている。
完璧を目指すのではなく、
そこにある「ゆらぎ」や「間(ま)」にこそ、
人の心が触れる余地があると信じている。

光悦が遺したものは、技術ではなく「姿勢」だった。
一つの作品に、思想を宿すこと。
一つの筆跡に、宇宙を感じること。
その精神は、400年の時を超えて、今も私たちの手元に息づいている。

WABISUKEは、光悦のように、
静けさの中に語りかけるブランドでありたい。
革新とは、叫ぶことではなく、沈黙の中に響くものだから。

私たちが扱う商品や言葉、空間のすべてが、
誰かの心にそっと触れ、
日々の暮らしの中に小さな余白をもたらすことを願っている。
それは、光悦が目指した「美と生の一致」に通じるものかもしれない。

静けさの中に、宇宙を彫る。
その営みは、今も続いている。
WABISUKEという名の、現代の小さな光悦村から。