STORIES

  • 花見小路通り   時代を舞う石畳の舞台

    花見小路通り——時代を舞う石畳の舞台 京都・祇園の中心を広く貫く「花見小路通り」。三条通から建仁寺まで約1km、石畳の道の視野に京町家が並び、夕暮れには舞妓が歩く姿が見られることも——まるで時代が舞っているかのような通りです。 二つの顔を持つ通り 四条通を境に、花見小路通りはほぼ二つの世界...
  • 祇園新橋を歩く  石畳に響く、時のしらべ

    祇園新橋を歩く——石畳に響く、時のしらべ 京都・東山の静かな午後。白川のせせらぎに耳を澄ませながら、私は祇園新橋の石畳をそっと踏みしめる。 ここは、昭和51年に選定された「祇園新橋伝統的建造物群保存地区」——江戸末期から明治初期にかけて建てられた町家が連なる、京都らしい風情の残る場所です。...
  • ドラえもんと季節の道具たち   藤子.F.不二雄と“色とことば“の魔法

    ドラえもんと季節の道具たち──藤子・F・不二雄と「色とことば」の魔法 1. 季節を持ち歩く?──「季節カンづめつめあわせ」 春・夏・秋・冬の缶詰青空と、まわりの空気がその季節に変わる! 半ばの声が聞こえたり、木枯れが吹いたり──まるで季節語が飛び出す道具。 この「季節カンヅメ」は、...
  • 星野源という"光の粒子" 言葉と色彩が奏でる詩的共鳴

    星野源という“光の粒子”──言葉と色彩が奏でる詩的共鳴 1. 言葉は、音楽よりも自由だった 星野源は、音楽家であり、俳優であり、そして文筆家でもある。彼の表現は、音楽という枠にとどまらず、言葉そのものの可能性を広げている。彼の語る言葉は、旋律に乗るだけでなく、日常の隙間にそっと入...
  • 岡本太郎という"爆発" 生い立ち、思想、そして言葉の力

    岡本太郎という“爆発”──生い立ち、思想、そして言葉の力 1. 爆発は、宇宙への祈り 「芸術は爆発だ!」 この言葉は、単なる奇抜なキャッチコピーではない。岡本太郎にとって“爆発”とは、全身全霊が宇宙に向かってひらく行為だった。 それは、縄文土器のうねりにも似た、生命の根源的な叫び。人間の内...
  • 和鏡 (わきょう) 時を映す、詩のかけら

      和鏡(わきょう)—時を映す、詩のかけら 鏡に映るのは、ただの姿ではありません。それは、時代の記憶であり、祈りのかたちであり、そして、心の奥にひそむ風景でもあります。 和鏡とは 和鏡とは、日本独自の様式で作られた金属製の鏡のこと。平安時代後期から盛んに製作され、鏡背(鏡の裏面)には草花...
  • 鳴らされぬ鐘の祈り  銅鐸に宿る沈黙の音

     鳴らされるぬ鐘の祈り — 銅鐸に宿る沈黙の音 弥生の空に、音は響いたのだろうか。緊急、響かぬことこそが祈りだったのか。  銅鐸とは何か 銅鐸は、弥生時代(紀元前2世紀〜2世紀頃)に製造された釣鐘型の青銅器です。 • 素材:青銅(銅+錫+鉛)• 形状:釣鐘型、文様付き、振り子あり/なし•...
  • 土器が語るこころの変化  弥生土器に宿る機能美

       土器が語るこころの変化 — 弥生土器に宿る機能美 縄文の土器が「火と祈りのかたち」なら、弥生の土器は「稲と暮らしのかたち」。かたちは変わっても、そこに宿る人のこころは、静かに息づいています。 弥生土器とは何か 弥生土器は、紀元前4世紀頃から登場した、農耕文化とともに発展した土器です。...
  • 脚下照顧 (きゃっかしょうこ) 足元を照らすということ

     脚下照顧(きゃっかしょうこ)— 足元を照らすということ ふと立ち止まった朝に、心を整える言葉 「脚下照顧」とは、「自分の足元をよく見なさい」「今ここを見つめなさい」という意味の禅語です。 禅寺の玄関に掲げられることも多く、靴を脱ぐその瞬間に、自分自身を見つめ直すよう促されます。 ...
  • 今日の季語  秋光 (しゅうこう)

     今日の季語:秋光(しゅうこう) 光が、季節の輪郭をやさしくなぞる。 秋の光は、夏のような強さではなく、どこか柔らかく、静かで、ものの輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。 木々の葉は、光を透かして黄金色に染まり、影は長く、ゆっくりと伸びていく。その光の中に、時間の流れが見えるような気がする。...
  • 色暦 10月13日の色  藤煤竹 (ふじすすたけ)

    色暦|10月13日の色:藤煤竹(ふじすすたけ) 紫がかった煤色。それは、秋の夕暮れに差す一瞬の陰影。 藤のやわらかさと、煤竹の渋みが重なり、静かな余韻と知性を感じさせる色です。 華やかさのあとに訪れる、曖昧で美しい時間。今日という日が、誰かの思索を深める色になりますように。
  • 喫茶去 (きっさこ) 茶でも一服、心のままに

     喫茶去(きっさこ)— 茶でも一服、心のままに 風が少し冷たくなった午後、あなたに届けたい禅語があります。 「喫茶去(きっさこ)」——意味はとてもシンプル。「まあ、お茶でもどうぞ」。でもこの言葉には、禅の深い哲学が静かに息づいています。 すべての人に、分け隔てなく この言葉は、唐の時代の禅...