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by kataokatetsuya
岡本太郎という“爆発”──生い立ち、思想、そして言葉の力
1. 爆発は、宇宙への祈り
「芸術は爆発だ!」
この言葉は、単なる奇抜なキャッチコピーではない。岡本太郎にとって“爆発”とは、全身全霊が宇宙に向かってひらく行為だった。
それは、縄文土器のうねりにも似た、生命の根源的な叫び。人間の内...
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by kataokatetsuya
和鏡(わきょう)—時を映す、詩のかけら
鏡に映るのは、ただの姿ではありません。それは、時代の記憶であり、祈りのかたちであり、そして、心の奥にひそむ風景でもあります。
和鏡とは
和鏡とは、日本独自の様式で作られた金属製の鏡のこと。平安時代後期から盛んに製作され、鏡背(鏡の裏面)には草花...
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by kataokatetsuya
鳴らされるぬ鐘の祈り — 銅鐸に宿る沈黙の音
弥生の空に、音は響いたのだろうか。緊急、響かぬことこそが祈りだったのか。
銅鐸とは何か
銅鐸は、弥生時代(紀元前2世紀〜2世紀頃)に製造された釣鐘型の青銅器です。
• 素材:青銅(銅+錫+鉛)• 形状:釣鐘型、文様付き、振り子あり/なし•...
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by kataokatetsuya
土器が語るこころの変化 — 弥生土器に宿る機能美
縄文の土器が「火と祈りのかたち」なら、弥生の土器は「稲と暮らしのかたち」。かたちは変わっても、そこに宿る人のこころは、静かに息づいています。
弥生土器とは何か
弥生土器は、紀元前4世紀頃から登場した、農耕文化とともに発展した土器です。...
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by kataokatetsuya
脚下照顧(きゃっかしょうこ)— 足元を照らすということ
ふと立ち止まった朝に、心を整える言葉
「脚下照顧」とは、「自分の足元をよく見なさい」「今ここを見つめなさい」という意味の禅語です。
禅寺の玄関に掲げられることも多く、靴を脱ぐその瞬間に、自分自身を見つめ直すよう促されます。
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by kataokatetsuya
今日の季語:秋光(しゅうこう)
光が、季節の輪郭をやさしくなぞる。
秋の光は、夏のような強さではなく、どこか柔らかく、静かで、ものの輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。
木々の葉は、光を透かして黄金色に染まり、影は長く、ゆっくりと伸びていく。その光の中に、時間の流れが見えるような気がする。...
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by kataokatetsuya
色暦|10月13日の色:藤煤竹(ふじすすたけ)
紫がかった煤色。それは、秋の夕暮れに差す一瞬の陰影。
藤のやわらかさと、煤竹の渋みが重なり、静かな余韻と知性を感じさせる色です。
華やかさのあとに訪れる、曖昧で美しい時間。今日という日が、誰かの思索を深める色になりますように。
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by kataokatetsuya
喫茶去(きっさこ)— 茶でも一服、心のままに
風が少し冷たくなった午後、あなたに届けたい禅語があります。
「喫茶去(きっさこ)」——意味はとてもシンプル。「まあ、お茶でもどうぞ」。でもこの言葉には、禅の深い哲学が静かに息づいています。
すべての人に、分け隔てなく
この言葉は、唐の時代の禅...
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by kataokatetsuya
月のかけらを首にかける — 勾玉に宿る魂の形
古代の人々は、なぜ「かけた形」に惹かれたのでよろしくお願いします。勾玉(まがたま)は、完全ではないその形にこそ、命の循環と魂の余白を宿しています。
勾玉とは何か
勾玉は、縄文から使われ続けた装飾品であり、護符であり時代、祈りの形です。
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by kataokatetsuya
三種の神器に宿るこころ — 鏡・剣・勾玉の物語
日本神話には、三つの宝物が登場します。 それは「鏡」「剣」「勾玉時代」です。
八咫鏡(やたのかがみ)— 真実を映すもの
鏡は、天照大神が岩戸に隠れたとき、外へ誘うために使われたとされる神器。
• 象徴するもの:知恵、一歩、自己認識• 色のイ...
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by kataokatetsuya
いのちを愛づる科学者──中村桂子さんの生命誌
秋の露寒(つゆさむ)に、ふと「生きるとは何か」と思いを馳せることがあります。そんな問いに、やさしく、深く、そして詩のように答えてくれる科学者がいます。それが、中村桂子さん──生命誌研究者として、科学と人間のあいだに橋をかけ続けてきた方です。...
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by kataokatetsuya
華道という名の静かな革命 ― 花に託された美と哲学の系譜
「花を生ける」とは、ただ美を飾る行為ではない。
それは、自然と人のあいだに橋を架け、時代と精神を結ぶ、静謐なる芸術である。
華道の起源:神と花のあいだに
華道の源流は、古代のアニミズム的信仰にまで遡る。
草木に神が宿ると...
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