年の瀬の手仕事 第一話 掃除という、余白の儀式


年の瀬の手仕事 第一話

掃除という、余白の儀式

師走。
その響きには、どこか背筋が伸びるような緊張感と、
ふと立ち止まりたくなるような静けさが同居しています。

一年の終わりが近づくと、
私たちは自然と、手を動かしたくなる。
棚の奥をのぞき込み、窓の桟を拭き、
使い慣れた道具を手に取り、
暮らしの輪郭をなぞるように、掃除を始めます。

それは、ただの清掃ではなく、
時間の澱を払い、空間に余白を取り戻すための、
ささやかで、深い「儀式」なのかもしれません。

 

煤を払う、ということ

かつての日本では、十二月十三日を「煤払いの日」と呼び、
神社仏閣や家々で、年に一度の大掃除が行われていました。
煤は、日々の営みの証。
囲炉裏の煙、灯明のすす、暮らしの中で積もった小さな痕跡。

それらを払うことは、
目に見えない感謝をかたちにすること。
一年のあいだに積もった想いを、そっと手放すこと。

煤を払うたびに、
私たちは自分の内側にも、風を通しているのかもしれません。

 

道具を整える、という手仕事

掃除の主役は、実は「道具」かもしれません。
ほうきの毛先を整え、雑巾を絞る手の感触を確かめる。
バケツに水を張り、手ぬぐいを濡らすときの、あの静かな時間。

使い古した雑巾の角がほつれているのを見て、
「今年もありがとう」と、心の中でつぶやく。
それは、道具に宿る時間と、
共に過ごした日々へのささやかな挨拶です。

掃除とは、空間を整えるだけでなく、
道具との関係を結び直す時間でもあるのです。

 

香りで結ぶ、空間の記憶

掃除のあとに漂う、ほのかな香り。
柚子の皮を浮かべたお湯の湯気。
畳にしみ込んだお香の残り香。
窓を開けたときに流れ込む、冬の冷たい風。

香りは、目に見えない記憶の鍵。
ふとした瞬間に、懐かしい風景を呼び起こします。

年の瀬の掃除は、
空間の記憶を呼び覚まし、
「ここに帰ってきた」と感じさせてくれる、
静かな再会の儀式でもあります。

 

祖母のほうき、父の雑巾

思い返せば、幼いころ。
祖母が使っていた棕櫚のほうきは、
使い込まれて艶を帯び、まるで生き物のようでした。

父は、古いTシャツを裂いて雑巾にし、
「これがいちばん拭きやすいんだ」と笑っていた。
その手つきは、どこか職人のようで、
私はその背中を見ながら、
掃除という行為の奥にある「祈り」のようなものを感じていました。

手を動かすことは、想いをつなぐこと。
道具を通して、記憶は静かに受け継がれていきます。

 

余白を整えるということ

掃除とは、汚れを落とすことではなく、
「余白を整える」こと。

ものが多すぎて見えなくなっていた床。
積み重ねた紙の下に隠れていた、懐かしい手紙。
窓の向こうに広がる冬空の青さ。

それらは、掃除という手仕事を通して、
ふたたび私たちの前に姿を現します。

余白とは、何もないことではなく、
大切なものが浮かび上がるための「静けさ」。

その静けさを取り戻すために、
私たちは今日も、ほうきを手に取るのです。

 

今日のひと手間

年の瀬の一日、
どこか一箇所だけでも、
「ありがとう」と言いながら掃除してみませんか。

たとえば、引き出しの中の文房具。
たとえば、玄関のたたき。
たとえば、いつも見過ごしていた窓の桟。

そこに宿る静けさが、
新しい年の扉を、そっと開いてくれるかもしれません。