縄文は爆発だ 岡本太郎と、原始の美に触れる

縄文は爆発だ:岡本太郎と、原始の美に触れる
「なんだこれは!」
―1951年、東京国立博物館で縄文土器に出会った岡本太郎は、叫んだ。
それは、静かな展示室に響いた、魂の爆発だった。
岡本太郎が見た「縄文の美」
縄文土器は、ただの古代の器ではない。
それは、生命のうねりであり、造形の叫びであり、美の原点だ。
岡本太郎は、縄文土器に「呪術的な力」「野性の美」「アシンメトリーの躍動」を見た。
彼が語ったように、それは「わびさび」とは対極にある、爆発する美だった。
「縄文土器には、生命の根源的な力がある。理屈ではなく、魂で感じる美だ。」
縄文土器の造形:破調の美学
• ねじれ、歪み、非対称。
• 火焔型の縁は、炎のように天を突く。
• 文様は、繰り返しではなく、うねりと跳ね。
それは、整った美ではない。
乱れの中に宿る秩序。
破調の中に響く調和。
岡本太郎は、こうした造形に「芸術の本質」を見た。
それは、彼自身の作品《太陽の塔》にも通じる、原始のエネルギーだった。
WABISUKE的視点:季語と縄文の対話
たとえば、季語「土用」や「炎昼」。
それらの言葉に宿る熱気と、縄文土器の火焔型の縁は、どこか響き合う。
色暦で言えば、「紅緋(べにひ)」や「焦茶(こげちゃ)」のような、土と火の色。
それは、縄文の土器に焼き付けられた、時間の色でもある。
岡本太郎からの問いかけ
「芸術は、きれいである必要はない。魂を揺さぶるかどうかだ。」
WABISUKEが目指す「詩的な日常」もまた、魂に触れるものでありたい。
縄文土器のように、不完全で、力強く、生命に満ちたもの。
岡本太郎の視点は、そんな美のあり方を、今に問いかけてくる。