富士山は、心のかたち


「富士山は、心のかたち。」—WABISUKEが紡ぐ、風景の記憶

青い布に描かれた富士の姿。
その小さながま口には、日本人の心の奥に流れる風景が、そっと縫い込まれています。

富士山は、ただの山ではありません。
標高3,776メートルの火山でありながら、古代から現代まで、私たちの信仰、芸術、そして日常の中に、静かに、しかし確かに存在してきました。

富士山のはじまり:神話と信仰

『竹取物語』では、かぐや姫が残した不老不死の薬を帝が富士の頂で焼いたことで、「不死=富士」の名が生まれたと語られています。
また、富士山は噴火を繰り返す荒ぶる神の象徴でもあり、人々はその怒りを鎮めるために祈りを捧げました。やがて、修験者たちが山に分け入り、霊力を得る場として登拝が始まりました 。

芸術の源泉としての富士

葛飾北斎の『冨嶽三十六景』、歌川広重の『名所江戸百景』。
富士山は、絵師たちの想像力をかき立て、構図の中心に据えられました。
その姿は、ゴッホやモネといった西洋の芸術家にも影響を与え、富士は世界の芸術の中にも息づいています 。

若者にとっての富士山とは?

今の若い世代にとって、富士山は「遠くにある観光地」かもしれません。
でも、ふとした瞬間に目にする富士の絵や写真、あるいは「一富士二鷹三茄子」の初夢の言い伝えに、どこか懐かしさや安心感を覚えることはありませんか?

富士山は、私たちの記憶の中にある「風景のかたち」。
それは、祖父母の語る昔話の中に、教科書の挿絵に、あるいはWABISUKEのがま口の布地に、そっと息づいています。

WABISUKEの富士山柄に込めた想い

このがま口は、ただの小物ではありません。
持つ人の手の中で、富士山が日常に寄り添い、心の風景を呼び起こす存在になるように。
若い世代にも「富士山って、なんかいいな」と思ってもらえるように。
そんな願いを込めて、WABISUKEはこの柄を選びました。


富士山は、見るものではなく、感じるもの。
そしてその感じ方は、世代を越えて、静かに受け継がれていくのです。