年の瀬の手仕事 第三話 結ぶという、祈り
年の瀬の手仕事 第三話

結ぶという、祈り
年の瀬の空気には、どこか張りつめた静けさがあります。 一年の終わりが近づくにつれ、 私たちは、ものごとの「結び目」を意識するようになります。
やり残したこと、伝えきれなかった言葉、 ほどけたままの気持ち。 それらを、そっと結び直すように、 手を動かす時間が生まれます。
結ぶという行為は、単なる動作ではなく、 祈りに近いものかもしれません。
結び目に宿る、かたちのない願い
紐を結ぶ。 紙を綴じる。 布を束ねる。
そのひとつひとつの所作に、 私たちは無意識のうちに、願いを込めています。
「ほどけませんように」 「つながりますように」 「また会えますように」
言葉にすれば簡単すぎる想いを、 結び目というかたちで、そっと託す。
それは、目に見えない祈りのかたちです。
水引という、結びの美学
日本の贈答文化に欠かせない「水引」。 その細い紙紐には、 人と人との縁を結ぶという意味が込められています。
「梅結び」は、ふっくらと丸く、ほどけにくい。 長寿や平穏を願うときに選ばれます。
「あわじ結び」は、両端を引くとさらに強く結ばれる。 「末永く、強く結ばれますように」という願いが込められています。
水引は、ただの装飾ではありません。 それは、贈る人の想いを、静かに伝える言葉なのです。
結ぶことで、終わりと始まりをつなぐ
年末にしめ飾りを飾るのも、 「結界」をつくるための結びの手仕事です。
藁を編み、紙垂を結び、 神さまを迎えるための清らかな場を整える。
それは、古くから続く風習でありながら、 今の私たちにも通じる感覚を持っています。
「ここから先は、新しい時間」 そう宣言するための、静かな結び目。
結ぶことで、終わりと始まりは、やさしくつながっていきます。
手の記憶に宿るもの
祖母が結んでくれたお弁当の風呂敷。 母がほどいてくれた靴紐。 父が結んだ荷造りの紐。
それらの手の動きは、 いつのまにか私の中にも染み込んでいて、 気づけば、同じように誰かのために結んでいる。
手の記憶は、言葉よりも確かに、 想いを受け継いでいくのかもしれません。
結び目のある暮らし
暮らしの中には、たくさんの結び目があります。
エプロンの紐を結ぶ朝。 贈り物にリボンをかける午後。 髪を束ねる夜。
それらはすべて、 自分と世界をつなぎ直す、小さな儀式。
結び目があることで、 私たちは「いま、ここにいる」と感じられるのです。
今日のひと手間
年の瀬のある一日、 ひとつだけ、結び直してみませんか。
ほどけかけた紐を、もう一度結ぶ。 風呂敷を丁寧にたたみ直す。 水引を結んで、誰かに手紙を添える。
あるいは、心の中で、 伝えそびれた言葉をそっと結び直す。
結ぶという手仕事は、 誰かのためであると同時に、 自分自身を整えるための祈りでもあります。