西陣織  千年の絹が語る、京都の記憶と美

 

西陣織──千年の絹が語る、京都の記憶と美

第一章:西陣織の源流──絹とともに渡来した文化

京都の織物文化は、古墳時代にまで遡ります。5〜6世紀、大陸から渡来した秦氏の一族が太秦に定住し、養蚕と絹織物の技術を伝えたことが西陣織の源流とされています。

奈良・平安時代には、朝廷が「織部司(おりべのつかさ)」という官営工房を設け、綾や錦などの高級織物を生産。職人たちは現在の京都市上京区に集まり、「織部町」と呼ばれる町を形成しました。

やがて律令制度の崩壊とともに官営工房は衰退し、職人たちは自らの手で織物業を営むようになります。彼らは「大舎人町(おおとねりちょう)」に集まり、「大舎人の綾」「大宮の絹」と呼ばれる織物を生産。これが、民間による西陣織の萌芽です。


第二章:応仁の乱と「西陣」の誕生──戦火の中で織られた地名

室町時代、京都を舞台に東軍と西軍が争った応仁の乱(1467〜1477年)は、織物職人たちの暮らしを一変させました。戦火を逃れた職人たちは堺などに避難し、大舎人町の織物業は壊滅状態となります。

乱が終息すると、職人たちは京都に戻り、西軍の本陣跡地に工房を構えました。この地が「西陣」と呼ばれるようになり、織物業の再興とともに「西陣織」という呼称が定着します。

西陣織とは、単なる技術や意匠ではなく、戦乱を乗り越えた職人たちの帰還と再興の物語でもあります。


第三章:西陣織の黄金期──江戸文化と装束の美

江戸時代、西陣織は幕府の保護政策のもとで発展し、日本を代表する高級織物としての地位を確立しました。帯や能装束、表装裂など、多彩な製品が生み出され、織物は身分や趣味を語る意匠の場となります。

帯には季節や思想を織り込んだ文様が施され、一本の帯に50色以上の糸を使うこともありました。能装束に用いられる金襴や緞子は、光と構図によって物語を語る布として、観客の感性に訴えかけます。

この時代、西陣織は美と権威の象徴として、暮らしと文化の中心に位置づけられていました。


第四章:技術革新と紋織の誕生──織物が語る意匠の宇宙

西陣織が芸術へと昇華したのは、紋織(もんおり)技術の発展によるものです。経糸と緯糸を複雑に組み合わせて文様を織り出すこの技法は、刺繍ではなく、織そのものが模様を描きます。

明治期には、フランスのジャカード織機が導入され、複雑な文様を大量かつ精密に織ることが可能に。西陣織の意匠表現は飛躍的に進化し、能装束や帯に加え、金糸・銀糸を用いた豪華な織物「金蘭」も誕生しました。


第五章:金蘭──極楽を織る、光の意匠

金蘭は、金糸や銀糸を織り込んだ豪華絢爛な織物であり、西陣織の中でも特に格式高い存在です。寺社仏閣の装飾、僧侶の袈裟、能装束、掛軸の表装などに用いられ、神仏への敬意や極楽浄土の表現として機能してきました。

製法には「引箔(ひきばく)」という技術が用いられ、漆を塗った和紙に本金箔を貼り付け、糸状に裁断して織り込みます。これにより、布は光と立体感を帯びた象徴的な存在となります。

現代では、ポリエステル素材による金蘭も登場し、より軽やかで扱いやすく、日常の中にも取り入れられています。

第六章:布香合に宿る織の記憶──WABISUKEの哲学

WABISUKEが展開する布香合には、この金蘭が用いられています。ポリエステル素材ながら、伝統的な意匠と織技術を継承した金蘭は、現代の暮らしに寄り添う織物として再解釈されています。

布香合は、香を包む器(海外ではアクセサリー入れや薬入れとしても使われています)でありながら、織物の記憶と感性を凝縮した存在です。その丸みを帯びた形状と金蘭の輝きが融合することで、手のひらの中に小さな祈りの空間が生まれます。

この布香合はオンラインショップで購入可能ですが、同じ金蘭を用いたがま口やポシェットは実店舗限定。これは、布に触れ、質感を確かめ、織の美を五感で味わってほしいというWABISUKEの哲学の表れでもあります。

WABISUKEは、100年先の“好き”を設計するために、禅の静けさと構造の知性を、ひとつの美意識として編み続けています。


結び──絹が語る都市の記憶

西陣織とは、京都という都市が織り続けてきた記憶そのものです。戦乱を越え、技術を磨き、文化を包み込んできたその布は、今もなお、人の心に触れる力を持っています。

WABISUKEの布香合は、その記憶を手のひらに宿す器。金蘭の輝きとともに、織物が語る物語は、これからも静かに、しかし確かに、続いていきます。

 

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