聖徳太子のひみつ日記:推しは仏教、趣味は未来設計⁉︎



聖徳太子のひみつ日記:推しは仏教、趣味は未来設計!?

やっほー!聖徳太子です。飛鳥時代からタイムスリップしてきました〜。今日はちょっとだけ、ぼくのこと話してもいいかな?歴史の教科書では堅苦しく紹介されがちだけど、実はけっこう面白い人生だったんだよ。

ぼくの肩書き:プリンスだけど、ただの王子じゃないよ

まずは自己紹介から。ぼくは厩戸皇子(うまやどのおうじ)って名前で生まれて、推古天皇のもとで政治を担当してた王子です。いま風に言えば「クリエイティブ・ディレクター・オブ・ヤマト」って感じかな。政治の仕組みを整えたり、外交で中国や朝鮮半島とやりとりしたり、仏教を広めたり、教育制度を考えたり…とにかくマルチタスクな日々でした。

当時の日本は、まだ国としての形がはっきりしていなかったから、未来のビジョンを描いて、それを実現するための仕組みをつくる必要があったんだ。ぼくは「この国をどうすれば美しく、平和で、文化的に豊かにできるか」をずっと考えてた。だから、ただの王子っていうより、未来設計士って言ったほうがしっくりくるかも。

十七条憲法って、ただのルールじゃないんだ

「和をもって貴しとなす」って聞いたことある?これはぼくが書いた十七条憲法の第一条。でもこれ、いわゆる法律とはちょっと違うんだ。現代の憲法みたいに罰則があるわけじゃなくて、役人たちがどういう心構えで仕事をすべきか、という“生き方のガイドライン”みたいなもの。

たとえば、「怒りにまかせて判断するな」とか「私利私欲を捨てて、公のために働け」とか、今の社会でも通じることばかり。SNSで炎上しがちな現代こそ、「和をもって貴しとなす」の精神が必要かもしれないね。ぼくは、みんなが心を整えて、協力し合える社会をつくりたかったんだ。

仏教にガチハマりした理由

ぼくが仏教にハマったのは、ただの宗教的興味じゃないよ。当時の日本は、豪族同士の争いが絶えなくて、心がざわざわしてる人が多かった。そんな中で、仏教の「心を静める」「欲を手放す」「命を尊ぶ」という考え方に、すごく惹かれたんだ。

仏教って、ただお寺でお祈りするだけじゃなくて、生き方そのものを整えるツールなんだよね。今で言うと、マインドフルネスとか瞑想アプリみたいな感じ。ぼくは「国を整えるには、まず人の心を整えなきゃ」と思って、仏教を広めることに力を入れたんだ。

法隆寺を建てたのもその一環。ただの建築物じゃなくて、「心のよりどころ」としての空間をつくりたかった。建築と哲学を融合させた、いわば“空間の詩”みたいなものだったんだよ。

同時通訳?それ、ぼくの得意技です

「一度に10人の話を聞き分けた」っていう伝説、聞いたことある?ほんとにできたかはナゾだけど、ぼくは人の話をよく聞いて、ちゃんと理解するのが得意だった。つまり、コミュニケーション能力がめちゃくちゃ高かったってこと。

現代だったら、カフェで友達の恋バナ10件同時に聞いて、それぞれに的確なアドバイスを返せるレベル。ぼくは「人の話を聞くことは、政治の第一歩」だと思ってた。相手の気持ちを理解しないと、いい判断はできないからね。

だから、外交でも相手の文化や価値観を尊重するようにしてたし、国内でも豪族たちの意見をうまく調整して、みんなが納得できる形にまとめるようにしてた。今で言うと、ファシリテーターとかメディエーターって感じかな。

ぼくのビジョン:100年後も続く“美しい国”

ぼくがやりたかったのは、ただの政治じゃなくて「未来の文化づくり」。仏教の寺院を建てたり、教育制度を整えたり、役人の心構えを示したり…全部、100年後の人たちが「この国、いいね」って思えるようにって考えてた。

ぼくは「文化は時間を超える」と信じてた。だから、目先の利益よりも、長く続く美しさや哲学を大事にしたかった。WABISUKEみたいに、ぼくも“美と哲学の継承”を目指してたんだ。空間、言葉、制度、すべてに“余白”と“意味”を込めること。それがぼくの未来設計だった。

もし今の時代にぼくがいたら、きっとZINEを作ったり、ポッドキャストで仏教トークしたり、Pinterestで法隆寺の美学を発信したりしてたと思う。伝える手段は変わっても、伝えたい想いは変わらないからね。


というわけで、聖徳太子のひみつ日記、楽しんでもらえたかな?歴史って、ただの暗記じゃなくて、ひとりの人間の“生き方”を知ることでもあるんだ。次回は「聖徳太子がもしTikTokをやってたら?」とか、「推古天皇とのトークルーム公開」なんて企画も面白いかも。リクエストがあれば、ぜひ教えてね。

そして、未来をつくるのは、今を生きるあなた自身。ぼくの時代の夢が、今のあなたに届いていたら嬉しいな。