土と詩をつなぐ旅人  バーナード.リーチと民藝の架け橋

 

「土と詩をつなぐ旅人──バーナード・リーチと民藝の架け橋」

イギリスに生まれ、日本に育まれた陶芸家、バーナード・リーチ。
彼は、東洋と西洋の美をつなぐ旅人でした。
柳宗悦との出会いが、彼の人生を大きく変え、民藝という思想に深く根ざした創作の道を歩むことになります。

【幼少期と日本との縁】

1887年、香港に生まれたリーチは、幼少期を京都で過ごしました。
桜の花、たくあんの味、桶の中の魚──彼の記憶には、日本の風景が五感で刻まれていました。
その後イギリスに戻り、美術学校でエッチングを学びながら、日本文化への憧れを募らせていきます。

【白樺派と柳宗悦との出会い】

1909年、リーチは再び日本へ。東京・上野に居を構え、白樺派の青年たちと親交を深めます。
柳宗悦との出会いは、彼にとって運命的でした。
柳の「用の美」という思想に共鳴し、日用品の中に宿る美を見出す眼差しを共有するようになります。

【陶芸との出会いとセント・アイヴス工房】

1911年、楽焼の絵付けを体験したリーチは、陶芸の魅力に取り憑かれます。
柳邸のある我孫子に窯を築き、濱田庄司とともに作陶を始めました。
1920年には濱田を伴って英国へ帰国し、コーンウォール州セント・アイヴスに「リーチ・ポタリー」を設立。
日本の登り窯を導入し、東西の技法を融合させた作品を生み出しました。

【著作と思想──『A Potter’s Book』】

1940年に刊行された『A Potter’s Book』は、陶芸の技術書であると同時に、生活と美に関する哲学書でもあります。
リーチは「陶器は生活の中でこそ生きる芸術である」と語り、民藝の精神を世界に広めました。

【日本民藝館とその後】

日本民藝館の設立にも深く関わり、柳宗悦の思想を支え続けたリーチ。
彼の作品は、日本民藝館に約120点所蔵されており、スリップウェアなど西洋陶器と東洋陶磁の融合が見られます。

【リーチの美──架け橋としての器】

バーナード・リーチの器は、国境を越えて人々の暮らしに寄り添います。
それは、東洋と西洋、芸術と日常、思想と実用をつなぐ「詩の器」。
彼の人生そのものが、民藝の精神を体現した旅だったのです。



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