鳥獣戯画
鳥獣戯画と京都の詩情:墨の中に息づく命の戯れ
京都の奥座敷、栂尾(とがのお)に佇む高山寺。その静寂の中に、墨一色で描かれた絵巻物が
、800年の時を超えて今もなお、私たちの心をくすぐる。
それが「鳥獣人物戯画」──通称「鳥獣戯画」。擬人化された兎や蛙、猿たちが、相撲を取り、水遊びをし、法会を営む。墨の濃淡と筆の流れだけで、笑い、驚き、哀しみまでをも描き出すその技は、まさに“動く静物詩”と呼ぶにふさわしい 。
墨の舞台に立つ動物たち
甲巻に登場する動物たちは、まるで人間のように振る舞う。兎が猿を追い、蛙が蓮の葉を傘にして歩く。
その姿は滑稽でありながら、どこか哀愁を帯びている。まるで「生きること」そのものを戯画にしたかのようだ。
水面に跳ねる蛙の笑い声は、
墨の粒が奏でる京都の風音。
兎の跳躍は、時を越えた問いかけ。
“人とは何か?”と。
乙巻では、実在と空想の動物が図鑑のように並び、丙巻では人間の遊戯が描かれ、丁巻では勝負事に挑む人々の姿が墨で躍動する 。
それぞれの巻が異なる筆致を持ち、まるで異なる絵師の手によって描かれたかのようだ。実際、鳥羽僧正覚猷の筆と伝えられるが、確証はなく、複数の絵師による合作とされている 。
京都という舞台装置
この絵巻が伝わる高山寺は、建永元年(1206年)に明恵上人によって再興された古刹。
京都市右京区の山間に位置し、日本最古の茶園としても知られるこの寺は、まさに“静と動”が共存する場所。
鳥獣戯画が生まれた背景には、京都という都市の“余白”があったのではないだろうか。
苔むす石段を登れば、
墨の匂いが風に混じる。
山の静けさに耳を澄ませば、
絵巻の中の蛙が笑う声が聞こえる。
京都は、過去と現在が交錯する都市。鳥獣戯画もまた、過去の戯れを現在に語りかける“声なき声”である。
鳥獣戯画は「日本最古の漫画」か?
一部の場面には、現代の漫画に通じるコマ割りや動線の表現が見られることから、「日本最古の漫画」とも称される鳥獣戯画 。
しかし、それは単なる技術的な評価ではなく、物語性と感情の流れを墨一色で描き切る“詩的な力”への賛辞でもある。
この絵巻には詞書(ことば)がない。
だからこそ、見る者の心に直接語りかける。
言葉のない詩。
墨の中に宿る命の声。
終わりに:鳥獣戯画は、私たち自身の鏡
鳥獣戯画を見つめるとき、私たちはただ動物の戯れを見ているのではない。
そこに映るのは、笑い、争い、祈り、そして遊ぶ人間の姿。
墨の線が描くのは、私たち自身の“生”の戯画なのだ。
墨は語る。
言葉よりも深く、
絵巻は問う。
「あなたは、何を戯れているのか?」
京都の山寺に眠るこの絵巻は、静かに、しかし確かに、私たちの心を揺らす。
それは、過去からの手紙であり、未来への問いかけでもある。