アルミ弁当箱と布の包み

アルミ弁当箱と布の包み
―手の記憶が、昼休みをほどいていく―
冬の教室。ストーブの上に、銀色の弁当箱が並ぶ。
じんわりと温まるアルミの表面に、湯気がうっすらと立ちのぼる。
その弁当箱は、母の手によって布で丁寧に包まれていた。
柄も、結び方も、毎日少しずつ違っていた。
昼休み。包みをほどくその瞬間に、家の匂いがふわりと広がる。
それは、遠く離れた台所の記憶だった。
アルミ弁当箱という「静かな器」
昭和の弁当箱といえば、アルミ製が主流だった。
軽くて丈夫。無駄のない形。
キャラクターが描かれたものもあれば、無地のものもあった。
蓋を開けると、仕切りの向こうに詰められた白いごはん。
卵焼き、ウインナー、きんぴらごぼう。
どれも、冷めても美味しいように工夫されていた。
アルミの弁当箱は、食べる前から「音」で語りかけてくる。
蓋を開けるときのカチャリという音。
箸が当たるときの、カンという響き。
それらすべてが、昼休みの風景をつくっていた。
布の包みという「手の記憶」
弁当箱を包む布には、母の選択が宿っていた。
花柄、チェック、動物模様。
その日の気分や季節によって、布は変わった。
包み方にも、個性があった。
四隅をきゅっと結ぶ人もいれば、風呂敷のように折りたたむ人もいた。
その結び目をほどくとき、指先に残る感触が、家のぬくもりを思い出させてくれた。
布の包みは、ただの包装ではなかった。
それは、母から子への「手紙」のようなものだった。
言葉ではなく、布で伝える「気持ちのかたち」。
ストーブの上の「昼休みの儀式」
冬の教室には、石油ストーブがあった。
その上に、アルミ弁当箱を並べて温めるのが、昼休みの儀式だった。
誰がどの位置に置くか。どれくらい温めるか。
蓋を開けたときの湯気の量で、温まり具合を見極める。
温めすぎて卵焼きが焦げることもあった。
それでも、温かいごはんを食べられることが嬉しかった。
そのぬくもりは、食べ物だけでなく、心にも染み込んでいた。
記憶の断片:詩と風景
布をほどくと、母の選んだ柄が現れる。
銀色の弁当箱が、湯気をまとって静かに待っている。
箸が鳴る音に、昼休みの風景が立ち上がる。
それは、手の記憶が語る、静かな物語。
この詩は、昭和の昼休みを切り取った記憶の断片。
アルミ弁当箱と布の包みは、ただの道具ではなく、
家族の気配をそっと忍ばせた「記憶の容れ物」だった。
いま、もう一度包みをほどいてみる
現代では、保温機能のある弁当箱や、電子レンジ対応の容器が主流になった。
布で包む習慣も、少しずつ減ってきている。
けれど、アルミ弁当箱と布の包みには、便利さでは測れない「手の記憶」がある。
もし、今あなたが弁当を包むとしたら。
どんな柄を選びますか。どんな気持ちを込めますか。
それは、誰かの昼休みに、そっと寄り添う記憶になるかもしれません。
アルミ弁当箱と布の包み
それは、昭和の昼休みに咲いた、静かで確かなぬくもりのかたち。
私たちは、あの手ざわりを、何度でも思い出すことができるのです。