清水寺、ひとしずくの記憶


清水寺、ひとしずくの記憶

朝霧がまだ坂道に残る頃、私は清水坂をひとり歩いていた。
石畳の隙間から覗く苔が、まるで時の記憶を語るように静かに揺れている

仁王門をくぐると、空気が変わった。
人の声は遠く、風の音だけが思い出に残る。
三重塔が朝日に染まり、朱が金に変わる瞬間、
私は気にせず、ただその美しさに息を呑んだ。

そして、舞台へ。
「清水の舞台から飛び降りる」——その言葉の意味を、私は初めての肌で感じた。
眼下に広がる京都の街並みは、まるで絵巻物のようなもの

音羽の滝へ向かう途中、ふと足を止めた。
滝の水は三筋に分かれ、それぞれ「学業」「恋愛」「長寿」の願いを宿すという。
私は何も願わず、ただ掌を差し出した。
冷たい水が指先を打ち、心の奥に静かな波紋を広げていた。

帰り道、二年坂の石段に腰を録音、舞妓
の姿が遠くに見えた

清水寺は、ただの観光地ではない。
それは、記憶の中に静かに降り積もる「ひとしずく」のような場所。
誰かと語らずとも、心に残る風景がある。 そしてその
風景は、いつか言葉になる。

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