色に宿る記憶  WABISUKEが見つめる日本の伝統色


色に宿る記憶:WABISUKEが見つめる日本の伝統色

色には、音がある。
色には、香りがある。
そして色には、記憶がある。

日本の伝統色は、自然と季節、そして人の心の揺らぎを映す鏡だ。
「紅梅色」は春の気配を運び、「青鈍」は雨の静けさを語る。
「黄朽葉」は枯れゆく葉の美しさを讃え、「藍白」は雪の余韻を残す。

それらは、単なる色名ではない。
それぞれが、時代を超えて受け継がれてきた“感性の言語”なのだ。

WABISUKEは、この色の言語に深く敬意を払いつつ、
あえてその枠を越えていく。
たとえば〈立涌〉のがま口に使われた色は、北欧の静謐を意識した配色。
伝統文様に、異国の色を重ねることで、
新しい「響き」を生み出している。

これは、伝統への反抗ではない。
むしろ、伝統を“響かせる”ための試みだ。

日本の伝統色は、時に閉じた美になりがちだ。
その繊細さゆえに、文脈を知らなければ届かないこともある。
だからこそWABISUKEは、色を「開く」。
異なる文化の色を重ねることで、
伝統色の奥にある“感情”や“余韻”を、より多くの人に届けようとしている。

たとえば「青磁色」に北欧のグレーを添えると、
静けさの中に温もりが生まれる。
「桜色」に北欧のミントグリーンを差すと、
儚さの中に希望が灯る。

WABISUKEの色彩は、常に問いかけている。
「この色は、どこから来たのか」ではなく、
「この色は、何を感じさせるか」。

伝統色は、過去の記憶。
越境色は、未来の可能性。
その両者を響かせることで、
WABISUKEは“今”という瞬間にしか生まれない美を紡いでいる。

それは、100年後の誰かが手に取ったとき、
「懐かしい」と感じるかもしれない色。
あるいは、「知らないのに、なぜか好き」と思うかもしれない色。

WABISUKEの色は、そうした“余韻”のために存在している。