鐘馗さんとは?ー魔を祓い、静けさを守る存在

鐘馗さんとは──魔を祓い、静けさを守る存在
京都の町家の屋根を見上げると、時折、鋭い眼差しで何かを睨みつける小さな像に出会うことがあります。その像は剣を携え、長い髭をたくわえ、まるで鬼よりも鬼らしい風貌をしています。けれど彼は、私たちを脅かす存在ではありません。むしろ、魔を祓い、静けさを守るためにそこにいるのです。その名は「鐘馗(しょうき)さん」。京都の風景に溶け込むように佇む鐘馗像は、古くから人々の暮らしを見守ってきました。
鐘馗さんは、ただの魔除けではありません。彼の姿には、歴史と信仰、そして人々の願いが込められています。この記事では、鐘馗さんの由来と役割、そして現代における意味について、少し深く掘り下げてみたいと思います。
中国から来た魔除けの神様
鐘馗さんのルーツは、中国・唐の時代に遡ります。科挙という官吏登用試験に合格した青年・鐘馗は、容貌が醜いという理由で官職を拒まれてしまいます。失意の鐘馗は、自ら命を絶ちます。その後、唐の皇帝・玄宗が病に倒れた際、夢の中に鐘馗が現れ、悪鬼を退治します。目覚めた玄宗は病が治っていることに気づき、鐘馗の姿を絵に描かせ、以後その絵が魔除けとして広まったと伝えられています。
この逸話から、鐘馗さんは「疫病除け」「魔除け」「学業成就」の神として信仰されるようになりました。見た目に左右されず、誠実さと恩義を貫いた鐘馗の姿は、時代を超えて人々の心に響きます。
屋根の上の守り神──京都の風習
日本において鐘馗信仰が広まったのは平安末期以降とされ、特に京都では独自の風習として根付いています。町家の屋根の上に鐘馗像を据えるのは、鬼瓦によって跳ね返された邪気が隣家に入るのを防ぐため。より強い存在として鐘馗さんを屋根に置くことで、魔を祓い、家を守るという考え方です。
この風習には、京都人ならではの美学も感じられます。向かいの家が鐘馗像を据えると、何も言わずに自分の家にも鐘馗さんを置く──言葉にせずとも、互いに守り合うような静かな連帯感がそこにはあります。鐘馗像は、単なる装飾ではなく、町の空気を整える存在なのです。
五月人形にも登場する鐘馗さん
関東では、端午の節句に鐘馗さんの掛け軸や人形を飾る風習があります。男の子の健やかな成長を願う象徴として、鐘馗さんは親しまれてきました。戦国時代には「鐘馗=勝機」と語呂が良いことから、武将たちが旗印や陣羽織に鐘馗の姿を描いたとも言われています。
このように鐘馗さんは、地域や時代によってさまざまな形で受け入れられ、守り神としての役割を果たしてきました。屋外に置かれる像から、室内に飾られる掛け軸まで、その姿は多様でありながら、共通して「魔を祓う」という願いが込められています。
現代に響く鐘馗さんのメッセージ
鐘馗さんの物語は、見た目や評価に左右されず、誠実さと恩義を貫いた人物像として私たちに語りかけてきます。彼の鋭い眼差しは、外の魔だけでなく、内なる迷いや不安にも向けられているのかもしれません。現代に生きる私たちにとっても、鐘馗さんの姿は「静けさを守るための強さ」を象徴するものとして、深い意味を持ちます。
見えない不安や、言葉にならない焦りが渦巻く時代だからこそ、鐘馗さんのような存在が必要なのかもしれません。彼は剣を持ち、鬼のような風貌をしていながら、誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るためにそこにいるのです。
WABISUKEの哲学にも通じるこの在り方──静けさを守るために、強さを持つ──は、空間づくりや言葉選び、そして人との関係性においても、深く響くものがあります。鐘馗さんは、ただの伝説の人物ではなく、私たちの暮らしの中に息づく「見えない守り手」なのです。