従順ならざる唯一の日本人  白洲次郎と"美の原則"



「従順ならざる唯一の日本人」──白洲次郎と“美の原則”

白洲次郎という名前に、どこか風のような響きを感じる人もいるかもしれません。実際、彼は「風の男」とも呼ばれました。英国仕込みの洗練された身のこなし、そして何より「原則(プリンシプル)」を貫く生き方──その姿は、まるで武士のようでありながら、どこかモダンな詩人のようでもあります。

彼の人生をたどるとき、そこには一貫して「美」と「信念」が通奏低音のように流れています。それは、時代の波に流されることなく、自らの美意識と倫理観に従って生きるという、静かで強靭な意志の表れでした。

芦屋からケンブリッジへ──風を纏う青年

1902年、兵庫県芦屋に生まれた白洲次郎は、裕福な実業家の家に育ちました。幼少期から西洋文化に親しみ、若くして単身イギリスへと渡ります。ケンブリッジ大学クレア・カレッジに学び、西洋史を専攻。学問に励む一方で、ベントレーやブガッティを乗り回し、週末にはレースに熱中するという、まさに“オイリー・ボーイ”な青春を謳歌しました。

しかし、彼の英国生活は単なる贅沢や享楽にとどまりませんでした。英国貴族との交流を通じて、彼は「紳士とは何か」を体得していきます。それは、単なる礼儀作法ではなく、「自らの信念に従って行動すること」、つまり「原則を持って生きる」という哲学でした。日本の武士道と響き合うようなその精神は、彼の帰国後の人生において、確固たる指針となっていきます。

GHQとの交渉──乱世に咲いた一輪の気骨

第二次世界大戦後、日本は連合国軍の占領下に置かれました。政治的混乱と価値観の転換が渦巻く中、白洲次郎は吉田茂に請われ、終戦連絡中央事務局の参与としてGHQとの交渉にあたります。

彼の名を一躍有名にしたのは、連合国軍総司令官マッカーサーとのやり取りにまつわる逸話です。天皇からの贈り物を「その辺に置いてくれ」と言われた際、白洲は即座に「何事か!」と怒鳴りつけたといいます。このエピソードは、彼の「誰に対しても媚びない」姿勢を象徴するものとして語り継がれています。

アメリカ側から「従順ならざる唯一の日本人」と評されたのも、彼が一貫して「原則」に従って行動していたからにほかなりません。彼は、相手が誰であれ、礼を尽くしつつも、自らの信念を曲げることはありませんでした。戦後の日本が新たな価値観を模索する中で、白洲の存在はひときわ異彩を放っていたのです。

武相荘という思想の庭

政治の表舞台から退いた後、白洲次郎は東京郊外の町田にある古民家「武相荘(ぶあいそう)」に移り住みます。妻・白洲正子とともに暮らしたその家は、単なる住まいではなく、彼の思想と美意識が凝縮された空間でした。

庭の石ひとつ、柱の木目ひとつにまで、白洲の「選び抜く目」が宿っていたといいます。無駄を削ぎ落とし、必要なものだけを残す──その姿勢は、まさに「用の美」に通じるものであり、彼の生き方そのものでもありました。

正子は後にこう語っています。「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と。それは、単なる頑固さではなく、誠実さの証であり、日々の暮らしの中にこそ「原則」を貫こうとする彼の真摯な姿勢を物語っています。

白洲次郎の「美の原則」

白洲次郎の美意識は、決して派手な装飾や流行に頼るものではありませんでした。むしろ、彼が重んじたのは「簡素であること」「本質を見極めること」「自分の目で選ぶこと」でした。彼にとっての美とは、外見の華やかさではなく、内面の潔さや誠実さに根ざしたものであり、それは彼の装いや言葉遣い、住まい、そして人との接し方にまで一貫して表れていました。

また、白洲は「日本人が日本人であること」に強い誇りを持っていました。戦後の混乱の中で、欧米の価値観に無批判に迎合する風潮に対して、彼は一歩引いた視点から「日本とは何か」「美とは何か」を問い続けました。その姿勢は、今なお私たちに多くの示唆を与えてくれます。

WABISUKE的まなざし──白洲次郎から学ぶこと

白洲次郎の生き方は、WABISUKEの読者にこそ響くものだと思います。彼は「静けさの中にある強さ」を体現した人でした。流行に流されず、肩書に縛られず、ただ「自分の信じる美」と「原則」に従って生きた。

その姿は、現代の私たちに「何を選び、何を捨てるか」という問いを投げかけてくれます。情報があふれ、価値観が多様化する今だからこそ、「自分の原則」を持つことの大切さが、より一層際立ってきます。

白洲のように、風のようにしなやかでありながら、根を張るように揺るがぬ美意識を持つこと。日々の暮らしの中で、何気ない選択にこそ「美の原則」を宿らせること。それは、WABISUKEが大切にしている「静けさ」「余白」「選び抜く目」と深く共鳴する姿勢です。

白洲次郎の生き方は、過去のものではありません。それは、今を生きる私たちにとっての「未来のヒント」でもあるのです。彼のように、風を纏いながらも、地に足のついた美しさを──。私たちもまた、自らの「プリンシプル」を手に、静かに、しかし確かに歩んでいきたいものです。