年神様を迎えるということ


年神様を迎えるということ

— 祈りと暮らしのあわいにて —

年の瀬が近づくと、空気が少し変わる気がします。
街のざわめきの奥に、どこか静かな気配が潜んでいる。
それは、目に見えない「お客様」が、遠くからこちらを見つめているような、そんな感覚。

そのお客様の名は、「年神様(としがみさま)」。


年神様とは、誰なのか

年神様とは、正月に山から降りてくると信じられてきた神様です。
その年の「命」や「福」を授けてくれる存在。
農耕の神であり、祖先の霊でもあり、
新しい年のはじまりを告げる、希望の化身でもあります。

昔の人々は、年神様を迎えるために、
家を清め、門松を立て、しめ縄を張り、鏡餅を供えました。
それらはすべて、神様が安心して訪れ、滞在できるようにするための「しつらえ」。

つまり、正月とは、ただの祝祭ではなく、
神を迎えるための時間だったのです。


神様の通り道を整える

WABISUKEの空間もまた、年の瀬になると、少しずつ表情を変えていきます。
布を張り替え、灯りを磨き、道具を整える。
それは、年神様の通り道を、そっと開けるような営みです。

門松は、神様が迷わず訪れるための目印。
しめ縄は、神聖な空間と俗世を分ける結界。
鏡餅は、神様が宿る依代(よりしろ)。

これらの飾りは、ただの装飾ではありません。
それぞれに意味があり、祈りが込められています。

たとえば、鏡餅の丸いかたちは、円満や調和を表し、
その上に乗せる橙(だいだい)は、「代々」家が続くことを願うもの。

年神様を迎えるということは、
「命のつながり」を祝うことでもあるのです。


祖先の記憶とともに

地域によっては、年神様は祖先の霊が姿を変えて戻ってくる存在とされてきました。
つまり、年神様を迎えるということは、
亡き人々と再会することでもありました。

そのため、正月には仏壇や神棚を清め、
家族そろって静かに手を合わせる風習が残っています。

WABISUKEの建物にも、
かつてこの場所で暮らした人々の気配が、どこかに残っています。
柱の節、床の軋み、障子越しの光。
それらが、記憶のように空間に宿っている。

年神様が訪れるとき、
その記憶たちもまた、そっと目を覚ますのかもしれません。


祓いと迎えのあわいにて

大晦日は、祓いの日。
正月は、迎えの日。

このふたつの時間のあわいに、
私たちは立っています。

煤を払い、道具を整え、心を澄ませる。
それは、過ぎた日々への感謝であり、
これから迎える日々への祈りでもあります。

年神様は、未来の兆しを運んでくる存在。
その神様を迎えるということは、
「希望を迎える」ということなのかもしれません。


WABISUKEの正月支度

この場所でも、年神様を迎える支度が始まっています。

布のしわを伸ばし、
灯りの傘を磨き、
棚の奥に眠っていた器を取り出す。

それは、誰かのための準備であり、
自分自身の心を整える時間でもあります。

年神様は、目に見えないけれど、
その気配は、確かにある。

だからこそ、私たちは今日も、
静かに、丁寧に、暮らしを整えていきます。


結びのことば

年神様は、
山の向こうから、ゆっくりとこちらへ向かっています。

その足音に耳を澄ませながら、
私たちは、灯りをともし、空間を整え、
「ようこそ」と言える準備を進めています。

どうか、皆さまのもとにも、
やさしい風と、あたたかな光が届きますように。

そして、新しい年が、
静かに、やさしく、始まりますように。

WABISUKE

 

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