『贈る』を整える  お年玉とポチ袋に宿る、ことばと祈りの文化


「贈る」を整える──お年玉とポチ袋に宿る、ことばと祈りの文化

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年の瀬が近づくと、街の文具店や雑貨屋の棚に、色とりどりのポチ袋が並びはじめます。干支の絵柄、金箔の文字、和紙の手触り──それらを手に取ると、ふと子どもの頃の記憶がよみがえります。お正月、親戚の家に集まり、大人たちの膝の上でそっと渡された小さな封筒。中身よりも、その瞬間のぬくもりや言葉が、今も心に残っています。

お年玉は、単なる「お金のやりとり」ではありません。もともとは「御歳魂(おとしだま)」と書かれ、正月に家に迎える歳神様から授かる“魂”を、家族で分け合うという神聖な行為でした。歳神様は、五穀豊穣や家内安全をもたらす神であり、正月に山から里へと降りてくると信じられていました。その神に供えるのが鏡餅であり、正月が明けたのちにその餅を家族で分けて食べることで、神の力をいただく──それが「お年玉」の原型です。

やがて時代が下るにつれ、餅の代わりに品物やお金を贈るようになり、江戸時代には商家の奉公人や子どもたちに「お年玉」として金銭を渡す習慣が広まりました。明治以降、貨幣経済の浸透とともに、現代のような「ポチ袋にお金を入れて渡す」形式が定着していきます。けれど、その根底には今も、「魂をわける」という祈りのような感覚が息づいています。

ポチ袋という小さな封筒にも、文化の香りが宿っています。「ポチ」とは、関西弁で「少し」「わずか」という意味。もともとは芸妓や奉公人に心ばかりの謝礼を渡すときに使われた言葉で、「ほんの気持ちですが」という謙虚な心が込められています。現代ではキャラクターものやカラフルなデザインも多いですが、和紙や折形を用いた手作りのポチ袋には、贈る人の想いがにじみます。たとえば、手書きの一言を添えるだけで、その封筒は「ことばを包む器」となります。

お年玉を準備するという行為は、単に金額を決めることではありません。それは、贈る人の心を整える時間でもあります。新札を用意し、ポチ袋を選び、相手の顔を思い浮かべながら金額を決める。その一連の所作の中に、「今年も元気でいてほしい」「あなたの未来が明るくありますように」という願いが込められていきます。

贈るときの所作もまた、大切な文化の一部です。両手で丁寧に渡し、「今年もよろしくね」「勉強がんばってね」と一言添える。その言葉があるだけで、お年玉は単なる金銭から、「ことばと祈りの贈りもの」へと変わります。子どもたちは、金額よりもその瞬間のやりとりを覚えています。だからこそ、大人たちは「渡す」のではなく、「贈る」ことを意識したいのです。

WABISUKEでは、「贈る」という行為を、文化の継承と共鳴のひとつと捉えています。がま口は、日々の記憶を包む器。ZINEは、言葉を贈るかたち。お年玉もまた、文化を包み、魂をわける贈りものとして、私たちの暮らしの中に息づいています。

たとえば、がま口にポチ袋を忍ばせて贈る。ZINEに「お年玉のことば」を添えて贈る。色暦の「金糸雀色」や「紅梅色」など、祝いの色と連動したポチ袋をつくる。そうした工夫ひとつで、お年玉は「文化を贈る」体験へと変わっていきます。

年末のこの時期、財布の中を整えることは、心を整えることでもあります。ポチ袋を選ぶ手の中に、贈る人の祈りが宿る。新しい年を迎える準備として、ただ「渡す」のではなく、「贈る」お年玉を。その所作のひとつひとつが、きっと誰かの心に残る“文化のしるし”となるでしょう。