哲学と妖怪のあいだで  井上円了と『見えないもの』をめぐる旅


哲学と妖怪のあいだで
― 井上円了と「見えないもの」をめぐる旅 ―

明治の東京・中野に、奇妙な名の公園があります。名を「哲学堂公園」といいます。
六賢台、四聖堂、幽霊梅、妖怪門…。まるで物語の舞台のような建築群が、静かに佇んでいます。

この不思議な空間を設計したのが、井上円了(1858〜1919)という哲学者です。
仏教僧であり、東京大学で哲学を学び、東洋大学の前身「哲学館」を創設した人物。
しかし彼の真骨頂は、単なる学問の枠を超え、「哲学とは何か」「妖怪とは何か」「人間とは何か」を、庶民の言葉で、空間で、そして旅で語ろうとしたことにあります。

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【哲学を「ひらく」ために】

井上円了が哲学館を創設したのは1887年。
当時の日本は、文明開化の波に揺れ、西洋の学問が「高尚なもの」として輸入されていました。
しかし円了は、哲学を「一部の知識人のもの」にしておくことを潔しとしませんでした。

「哲学は万人のもの。日々の暮らしの中にこそ、哲学は息づいている」

そう信じた彼は、全国を巡って講演を行い、通信教育のような「館外員制度」を導入。
さらに「哲学一夕話」という講談調の書物を著し、哲学を語りかけるように伝えました。

その語り口は、まるで落語のように軽妙で、しかし芯は深い。
たとえば「人生とは何か?」という問いに、彼はこう応じます。

「人生は、夢のごとし。されど夢を夢と知ることが、哲学のはじまりなり」

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【妖怪を「解く」ために】

井上円了のもう一つの顔は、「妖怪博士」です。
彼は全国を旅し、各地の妖怪伝承を収集し、それを科学的・心理学的に分析しました。
その成果は『妖怪学講義』『妖怪百談』などにまとめられ、

「妖怪とは、未解決の自然現象や人間心理の投影である」

と説きました。

しかし、彼は単に「迷信を否定」したのではありません。
むしろ、妖怪という“見えないもの”に向けられた人々の想像力や畏れに、
人間の本質的な感受性を見出していたのです。

妖怪とは、理性では割り切れない「余白」の象徴。
そしてその余白を、哲学のまなざしで見つめ直すことこそが、
近代という合理の時代における「心の居場所」だったのかもしれません。

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【空間に宿る哲学】

哲学堂公園は、井上円了の思想の結晶です。
そこには「四聖堂(孔子・釈迦・ソクラテス・カントを祀る)」「六賢台(東西の賢人を象徴する六柱)」など、
哲学を空間として体現する建築が点在しています。

それは単なる記念碑ではありません。
訪れる者が「歩きながら考える」ことを促す、哲学的な回遊路です。

円了は、建築や庭園を「思索の装置」として設計しました。
それはまさに、WABISUKEが目指す「空間と言葉の共鳴」にも通じる発想です。

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【いま、井上円了を読むということ】

現代は、情報があふれ、合理と効率が支配する時代です。
しかしその一方で、「なぜそれをするのか」「何のために生きるのか」といった根源的な問いが、
ふとした瞬間に私たちを立ち止まらせます。

井上円了の哲学は、そうした問いに対して、
「すぐに答えを出さなくてもよい」「まずは見えないものに耳を澄ませよう」
と語りかけてくれます。

妖怪も、哲学も、そして詩も。
すべては「見えないもの」との対話から生まれる。

WABISUKEが紡ぐ物語や空間もまた、
そうした“余白”の中にこそ、ひそやかに息づいているのではないでしょうか。

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【参考文献・おすすめ】

・井上円了『妖怪学講義』『哲学一夕話』『仏教活論』
・東洋大学 哲学堂公園公式サイト
・『井上円了と近代日本の精神史』(講談社学術文庫)