文化は、国境を越えて「場所」になる|ドラゴンボールのパリ進出から考える、日本文化の新しい旅

――ドラゴンボールのパリ進出から考える、日本文化の新しい旅

文化は、どこまで旅をすることができるのだろう。

一冊の漫画として生まれた物語が、海を渡り、言葉を越え、世代を越える。そしていつか、その物語を愛した人々が暮らす遠い土地に、ひとつの「場所」まで生み出してしまう。

フランス・パリ郊外で、日本発の作品「ドラゴンボール」などをテーマにした大型テーマパークの構想が報じられた。

このニュースを目にしたとき、私は単に「日本のアニメは海外で人気がある」という話ではないように感じた。

日本で生まれた文化が、世界の人々の記憶に入り込み、やがて現実の風景まで変えようとしている。

これは、文化が国境を越えるということの、ひとつの象徴なのかもしれない。


日本で生まれた小さな物語が、世界を旅する

ドラゴンボールは、日本で生まれた。

鳥山明という一人の漫画家が描いた線から始まり、漫画になり、アニメになり、ゲームになり、さまざまな形で世界へ広がっていった。

日本語を知らない人も、日本へ来たことのない人も、悟空たちの冒険に心を躍らせた。

子どものころテレビで見た人が大人になり、今度はその文化を自分の子どもへ伝えていく。

そうして作品は、単なる娯楽ではなくなる。

ある人にとっては少年時代の記憶となり、ある人にとっては友人との共通言語となり、ある人にとっては日本という国を知る最初の入口になる。

文化とは、不思議なものだ。

つくった人の手を離れたあとも、誰かの心の中で育ち続ける。


「日本文化」は、古いものだけではない

日本文化と聞くと、私たちはしばしば、茶道、禅、着物、浮世絵、庭園、神社仏閣といったものを思い浮かべる。

もちろん、それらは日本文化の大切な一部だ。

しかし文化は、過去だけに存在するものではない。

漫画も、アニメも、ゲームも、ファッションも、現代のデザインも、今この瞬間に日本で生まれている文化である。

江戸時代の浮世絵が海を渡り、ヨーロッパの芸術家たちに刺激を与えたように、現代では漫画やアニメが世界中の若者たちの感性に影響を与えている。

形は違っても、文化が旅をするという現象そのものは、昔から続いている。

古いものから新しいものへ。
静かなものから賑やかなものへ。
茶室から漫画へ。
京都から世界へ。

そのすべてが、同じ時代の中で響き合っている。


鳥山明の「軽やかさ」は、なぜ世界へ届いたのか

以前、WABISUKEでは鳥山明の創造について書いた。

そこで私が強く感じたのは、彼の作品にある「軽やかさ」だった。

難しい思想を前面に押し出すのではない。

まず面白い。

まず楽しい。

そして、どこか自由だ。

その軽やかさの奥に、友情や成長、挑戦、失敗、再生といった、人間が国籍を越えて共有できる感情が流れている。

だから世界の人々が、自分自身の物語として受け取ることができたのではないだろうか。

文化を世界へ届けるとき、必ずしも文化について長く説明する必要はない。

まず、好きになってもらう。

そこから文化への扉が開くこともある。


文化は「見るもの」から「体験するもの」へ

今回のテーマパーク構想が興味深いのは、作品が画面や本の中だけにとどまらず、「場所」になろうとしていることだ。

人がそこへ行く。

歩く。

見る。

音を聞く。

食べる。

写真を撮る。

誰かと時間を過ごす。

すると物語は、情報ではなく「体験」になる。

そして体験は、記憶になる。

これは、いま世界で受け取られている日本文化のさまざまな場面にも見られることだ。

京都を訪れる海外の人々も、寺院について知識を得るだけではない。

石畳の感触。
鐘の音。
畳に座る時間。
抹茶の味。
夕暮れの光。

そうした身体的な体験を通して、彼らは「日本」というものを受け取っている。

文化は、知識として理解するだけでなく、身体で感じたとき、深い記憶になる。


小さながま口も、日本文化への入口になる

一つのがま口は、とても小さい。

テーマパークとは比較にならないほど小さな存在だ。

けれど、文化の大きさは、物理的な大きさだけで決まるものではない。

口金を開く。

「パチン」と閉じる。

布の文様を見る。

指先で生地の感触を感じる。

そこから、

「この模様には、どんな意味があるのだろう」

「なぜ日本では、こういう形の財布が使われてきたのだろう」

「京都とは、どんな場所なのだろう」

という興味が生まれるかもしれない。

一冊の漫画でもいい。

一杯のお茶でもいい。

一枚の布でもいい。

一つのがま口でもいい。

心が動いたところから、文化の旅は始まる。


世界へ行くのは、商品だけではない

WABISUKEが世界へ届けたいものも、商品だけではない。

京都の静けさ。

日本人が季節の小さな変化を感じ取ってきた感性。

文様に込められた意味。

余白を美しいと思う心。

ものを長く使い、時間とともに育てる感覚。

そうした目には見えないものを、商品や文章、写真を通して世界へ渡していきたい。

一人がつくる。

一人が受け取る。

その人が誰かに伝える。

そして遠く離れた場所で、別の誰かが好きになる。

その連鎖によって、文化は旅をする。


文化は、国境を越えて「場所」になる

日本で生まれた物語がフランスへ渡り、何十年もの時間をかけて愛され、ついには現実の「場所」まで生み出そうとしている。

もしそれが実現するなら、とても象徴的な出来事だと思う。

文化は、輸出されるだけではない。

誰かの中に入り、その人の記憶と混ざり合い、その土地で新しい姿へ育っていく。

つまり文化は、移動するだけではなく、根を下ろす。

そして根を下ろした文化は、もう送り手だけのものではない。

受け取った人々とともに、新しい物語をつくり始める。


結び――文化を、旅させる

文化は、国境線を見ることができない。

言葉が違っても、国籍が違っても、人の心が動けば、その先へ進んでいく。

鳥山明が描いた物語が日本を離れ、世界中の人々の少年時代の記憶となり、遠い国に新しい「場所」まで生み出そうとしている。

その旅は、文化というものの不思議な力を教えてくれる。

WABISUKEもまた、京都から文化を旅させたい。

大きな声ではなくてもいい。

一つのがま口から。

一つの文様から。

一つの文章から。

静かに世界へ渡っていけばいい。

そしていつの日か、遠い国の誰かの暮らしの中に、日本の小さな美意識が根を下ろす。

それは、文化が新しい「場所」を見つけた瞬間なのだと思う。

文化を、旅させる。
そして、遠い誰かの暮らしの中に、小さな居場所をつくる。

 

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