余白に咲く意匠 ー 尾形光琳とWABISUKEの美学

余白に咲く意匠 — 尾形光琳とWABISUKEの美学
静けさの中に、意匠は咲く。
尾形光琳が描いたのは、ただの花ではない。
それは、時を超えて揺らぐ「美の余白」だった。
江戸中期、京都の裕福な呉服商「雁金屋」に生まれた尾形光琳は、幼少期から染織や工芸に囲まれて育ちました。父・尾形宗柏は町人ながらも文化人として知られ、茶の湯や書画に通じた人物。光琳はその影響を受け、やがて絵画、工芸、書、意匠において独自の美学を築き上げ、琳派の代表的存在として名を馳せました。
光琳の作品には、金箔の豪奢さと、たらし込みの偶然性が共存しています。自然のモチーフを大胆に抽象化し、構図と余白の妙で「描かれていないもの」を浮かび上がらせる。
その美意識は、WABISUKEが目指す「静けさの中の詩」と、どこかで共鳴しています。
燕子花図屏風に宿る風の気配
光琳の代表作のひとつ、国宝《燕子花図屏風》。
金地に浮かぶ群青と緑青の燕子花が、左右対称のようでいて、どこか不規則に揺れている。
そこには風が吹き、水面がきらめき、季節が移ろう気配がある。けれど、風も水も描かれてはいない。
描かれていないものが、確かにそこにある。
この「不在の存在感」こそが、光琳の真骨頂であり、WABISUKEが大切にする「余白の美」でもあります。
私たちが日々選ぶ色や言葉、構図や間合いも、すべては「見えないもの」を感じてもらうための設計です。
たとえば、ある商品の背景に使う色。
それは単なる装飾ではなく、季節の気配や、手に取る人の記憶を呼び起こす「静かな語りかけ」でありたい。
光琳の燕子花が、見る者の心に風を吹かせるように。
工芸に宿る詩 — 八橋蒔絵螺鈿硯箱
光琳は絵画だけでなく、蒔絵や陶芸にもその美意識を注ぎました。
《八橋蒔絵螺鈿硯箱》はその代表例。
金平蒔絵と螺鈿で描かれた燕子花と橋の意匠は、視覚的な美しさだけでなく、物語性をも内包しています。
伊勢物語の「東下り」に登場する八橋の場面を題材にしながら、抽象化された構図は、使う人の想像力を誘います。
この「使うことで完成する美」は、WABISUKEが手がける工芸にも通じています。
私たちがつくる道具や器、布や紙は、手に取る人の暮らしの中で、初めて詩になる。
光琳が硯箱に込めた物語のように、WABISUKEの品々もまた、日々の中で静かに語りかける存在でありたいと願っています。
光琳波と光琳梅 — 継がれる意匠
尾形光琳の名を冠した意匠は、今もなお私たちの暮らしの中に息づいています。
たとえば「光琳波」。
波のうねりを抽象化したこの文様は、着物や和菓子、建築装飾にまで広く用いられています。
また「光琳梅」と呼ばれる梅の意匠も、花弁を単純化しながらも、可憐さと力強さを併せ持つ造形として、多くの工芸品に取り入れられています。
これらの意匠は、単なる模様ではありません。
自然の本質を抽出し、時代を超えて伝える「かたちの詩」です。
WABISUKEもまた、色や線、素材や言葉を通じて、今の時代に響く「継がれる美」を模索しています。
それは、流行に左右されない、けれども時代とともに呼吸する美。
100年後の誰かが手に取ったとき、そこに「なつかしさ」と「新しさ」が同時に宿るような、そんなものづくりを目指しています。
乾山との共鳴 — 兄弟の対話
光琳の芸術を語るとき、弟・尾形乾山の存在を忘れることはできません。
陶芸家として知られる乾山は、兄・光琳とともに数々の合作を残しました。
乾山が焼いた器に、光琳が絵付けを施す。
そこには、血縁を超えた「美の対話」があります。
この兄弟の関係は、WABISUKEが大切にする「共創」の精神にも通じます。
ひとりの作家の表現ではなく、異なる感性が交差し、響き合うことで生まれる新たな美。
それは、WABISUKEのZINEや商品開発におけるコラボレーションの在り方にも重なります。
異なる時代、異なる視点が出会うことで、思いがけない詩が生まれる。
光琳と乾山のように、私たちもまた、誰かと共に「美の余白」を編んでいきたいのです。
描かないことで、描く
光琳の作品には、しばしば「描かれていないもの」が存在します。
たとえば《紅白梅図屏風》。
画面中央を流れる川は、輪郭線を持たず、墨のにじみだけで表現されています。
それは、見る者の想像力に委ねられた「空白の川」。
このような表現は、単なる技法ではなく、「見る者の心に委ねる」という美学の体現です。
WABISUKEの文章や写真、商品ページの構成にも、この「描かないことで、描く」姿勢が息づいています。
すべてを説明し尽くすのではなく、余白を残すことで、読み手の記憶や感情が立ち上がるように。
それは、光琳が私たちに遺した「美の余地」へのまなざしと、まさに同じ方向を向いています。
伝統は、創造である
尾形光琳は、俵屋宗達の意匠を学びながらも、それを模倣するのではなく、自らの感性で再構築しました。
彼の手によって、琳派は「継承」から「創造」へと進化したのです。
この姿勢は、WABISUKEが伝統と向き合うときの指針でもあります。
私たちは、ただ古き良きものを守るのではなく、それを今の感性で編み直し、未来へと手渡したい。
光琳がそうであったように、伝統を「生きたもの」として更新し続けること。
それが、WABISUKEのものづくりの根幹にあります。
100年後に咲く花のために
尾形光琳の美は、三百年を経てもなお、私たちの心を打ちます。
それは、彼の作品が「時代の美」ではなく、「人の感性に根ざした美」だったからかもしれません。
自然のかたち、季節のうつろい、余白の静けさ。
それらは、どの時代においても、人の心をふと立ち止まらせ、何かを思い出させる力を持っています。
WABISUKEが目指すのも、まさにそのような美です。
今この瞬間の流行に寄り添いながらも、そこに普遍的な詩情を宿すこと。
誰かの記憶にそっと触れ、日々の暮らしの中でふと立ち止まるきっかけとなるような、静かな存在であること。
それは、光琳が描いた「描かないことで描く」美の在り方と、深くつながっています。
美は、継がれることで生きる
光琳の死後も、彼の意匠や構図は多くの工芸家や画家に受け継がれました。
酒井抱一や鈴木其一といった後継者たちは、光琳の美学を学びながらも、それぞれの時代の感性で琳派を更新していきました。
この「継承と変奏」の精神は、伝統を単なる保存ではなく、創造の連なりとして捉える視点を与えてくれます。
WABISUKEもまた、伝統を「守る」のではなく、「育てる」ことを大切にしています。
古き良きものを、現代の言葉と技術で再解釈し、次の世代へと手渡す。
それは、光琳が宗達を敬いながらも、自らの色と構図で新たな世界を描いた姿勢と重なります。
光琳から学ぶ、ブランドの在り方
尾形光琳の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
父の死後、家業が傾き、経済的に困窮した時期もありました。
しかし彼は、商家の出自を活かし、意匠と実用を融合させた作品を数多く生み出しました。
絵画だけでなく、扇、着物、漆器、陶器など、生活の中に美を宿す工芸を手がけたのです。
この「生活と美の融合」は、WABISUKEが大切にしている価値観でもあります。
美は、特別な場所にだけあるのではない。
日々の暮らしの中にこそ、詩は宿る。
だからこそ、私たちは「使うことで完成する美」を信じ、手に取る人の時間と空間に寄り添うものづくりを続けています。
また、光琳の作品には「遊び心」も感じられます。
大胆な構図、リズミカルな反復、意外性のある省略。
それらは、見る者の心をほどき、自由な想像へと誘います。
WABISUKEのZINEやブログ、SNSでの発信もまた、どこかに「余白の遊び」を残すよう心がけています。
それは、読み手や見手が、自分の物語を重ねられるようにするため。
光琳のように、私たちもまた「完成しすぎない美」を信じています。
終わりに — 美の余白を、あなたとともに
尾形光琳の作品を見ていると、ふと時間が止まったような感覚になります。
それは、彼の描いた花や波が、ただの自然ではなく、「記憶の風景」だからかもしれません。
見る者の心の奥にある、懐かしさや憧れをそっと呼び起こす。
その静かな力が、光琳の美を永遠のものにしているのです。
WABISUKEもまた、そんな「記憶に咲く意匠」を目指しています。
色や言葉、かたちや余白を通じて、誰かの心にそっと触れること。
そして、100年後の誰かが、ふと手に取ったときに、
「これは、あのときの気配だ」と感じられるような、そんな美を編み続けていきたい。
尾形光琳がそうであったように、
私たちもまた、伝統を生きたものとして育て、
詩と実用が響き合う「美の余白」を、今日も静かに咲かせていきます。