スマートフォンと銀閣寺、あるいは記憶の余白について


スマートフォンと銀閣寺、あるいは記憶の余白について


最近、京都に行くときは、なるべくスマートフォンを見ないようにしている。
もちろん、地図アプリは便利だし、カフェの場所を調べるのにも役立つ。
でも、あまりにも便利すぎて、気がつくと目の前の風景が、どこか遠くのスクリーンの中にあるような気がしてくる。
だから、今日はスマホを鞄の奥にしまい込んで、銀閣寺まで歩くことにした。

哲学の道は、晩秋らしい静けさに包まれていた。
紅葉はほとんど散り、枝には錆びたような色の葉がわずかに残っている。
疏水の水は静かに流れ、空気には冬の手前の冷たさが漂っていた。
ぼくはベンチに腰を下ろし、裸の枝越しに空を見上げた。
雲がゆっくりと流れていく。
その速度が、ちょうどいい。

銀閣寺に着くと、マフラーを巻いた観光客が数人、写真を撮っていた。
息が白く浮かび、コートの襟を立てている人もいた。
ぼくは彼らの後ろをすり抜けて、白砂の庭に立った。
あの「向月台」は、今も変わらずそこにあった。
月を待つための山。
昭和の終わりに、父と来たときも、たしかにそこにあった。
父はもういないけれど、あのときの声が、ふと耳の奥で響いた気がした。

「これは、月の光を映すためのものなんだよ」

ぼくはその言葉を、今でも覚えている。
そして、あのときの空気の匂いまで、なぜか思い出せる。
記憶というのは、時間を超えて、ふいに立ち上がる。
まるで、古いレコードの針が、ある一曲にふと戻るように。

観音殿の前に立つと、スマホのシャッター音があちこちから聞こえてきた。
みんな、何かを記録しようとしている。
でも、ぼくはただ、立ち止まって、目を閉じた。
風の音、鳥の声、遠くの子どもの笑い声。
それだけで、十分だった。

そのあと、ぼくは南禅寺まで歩いた。
途中、永観堂の前を通ると、紅葉はほとんど散っていた。
枝に残る数枚の赤い葉が、風に揺れていた。
スマホを取り出して写真を撮ろうかと思ったけれど、やめた。
代わりに、目に焼きつけることにした。
記憶の中の風景は、写真よりもずっと長く残る。
たとえ少しずつ色褪せても、その曖昧さが、かえって心に沁みる。

南禅寺の三門に登ると、京都の街が広がっていた。
比叡山の稜線が淡い空に溶け、屋根の連なりが晩秋の光を受けていた。
ぼくはポケットから文庫本を取り出して、ページをめくった。
ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』。
何度も読んだ本だけれど、読むたびに時間の流れが違って感じられる。
それは、たぶん、ぼく自身の記憶が少しずつ変化しているからだ。

法然院にも立ち寄った。
白砂壇の模様が、朝の霜で少し滲んでいた。
その滲み方が、なんだか人の記憶みたいだった。
はっきりとは思い出せないけれど、たしかにそこにあったもの。
昭和の喫茶店、祖母の家のちゃぶ台、ラジオから流れていたユーミンの声。
そういうものが、京都の風景の中に、まだ微かに残っている。

夜になって、出町柳のカフェに入った。
昔ながらの喫茶店は少なくなったけれど、ここは奇跡的に残っていた。
木の椅子、分厚いメニュー、ネルドリップのコーヒー。
カウンターの向こうでは、マスターが静かに豆を挽いていた。
ぼくは窓際の席に座って、煙草の代わりにミントティーを頼んだ。
時代は変わったけれど、静けさの質は、あまり変わっていないように思えた。

外では、大学生らしきカップルがスマホを見ながら笑っていた。
彼らの笑い声は、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
ぼくはカップの底に残った温もりを手のひらで感じながら、ふと思った。
あの頃の京都は、もうないのかもしれない。
でも、それでもいい。
記憶の中にある京都は、ぼくの中で静かに生きている。
銀閣寺の白砂、南禅寺の三門、法然院の苔、出町柳のカフェ。
それらは、ぼくの中の「余白」となって、今も息をしている。

帰り道、鴨川のほとりを歩いた。
川面には、スマホの光ではなく、街の灯りが揺れていた。
ぼくはポケットに手を入れて、ゆっくりと歩いた。
風が少し冷たくなってきた。
冬は、もうすぐそこまで来ている。
だけど、ぼくの中には、あの午後の銀閣寺の光が、まだほのかに残っていた。


このエッセイは、現代の京都を舞台に創作された作品です。
銀閣寺、哲学の道、出町柳のカフェ——静かな風景の中に、昭和の記憶がそっと息づいています。
実在の人物ではありませんが、誰の心にもある「懐かしさ」と「静けさ」を描いています。

 

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