光と香のひとひら  清少納言と『をかし』のこころ

 

光と香のひとひら──清少納言と「をかし」のこころ

千年の時を越えて、今もなお、私たちの胸をときめかせる言葉があります。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは…」

これは、清少納言が『枕草子』の冒頭に記した一節。彼女が見つめたのは、ただの季節の移ろいではなく、光の濃淡、空気の香り、そして心の奥にふと差し込む“をかし”の感覚でした。

“をかし”とは、現代の「面白い」や「美しい」とは少し違います。それは、ふと心が動く瞬間。たとえば──

・雨の音に耳を澄ませるとき
・薄紅の梅が、まだ寒い風に揺れているのを見つけたとき
・誰かの言葉に、静かに笑みがこぼれるとき

清少納言は、そんな一瞬一瞬を、宝石のように拾い集めて言葉にしました。彼女の文章には、季節の気配、光の移ろい、人の癖や装束の色合いが、まるで絵巻物のように生き生きと描かれています。

彼女のまなざしは、鏡のようでした。宮廷の華やかな日々の中で、鋭く、そして優しく人々を見つめ、観察し、記録する。批評もあれば、ユーモアもある。けれど、そこにはいつも「美しさを見つけようとするまなざし」があります。

たとえば、「にくきもの」と題された章では、日常の中でふと苛立ちを覚える瞬間が、軽やかな筆致で描かれています。そこには、感情をそのままにせず、言葉に変えて昇華する力が宿っています。美しさとは、ただ整ったものを指すのではなく、心が動いた痕跡そのものなのかもしれません。

清少納言が生きたのは、平安時代。香を焚き、衣を重ね、言葉を交わすことで、季節と心を織りなす時代でした。彼女は、そんな日々の中で、「美しいものを、美しいと感じる心」を育て続けました。

その感性は、現代に生きる私たちにも、静かに語りかけてきます。

WABISUKEが大切にしているのは、「静けさの中にある豊かさ」。それは、清少納言が見つけた“をかし”の世界と、どこか響き合っています。

たとえば──

・茶の湯の湯気に、季節の香りを感じること
・古い布の色に、時を超えた美を見つけること
・言葉の余白に、心を遊ばせること

WABISUKEのものづくりや言葉には、「見えないものを感じる力」を育てる願いが込められています。清少納言のように、日々の中にある小さな“をかし”を見つけ、それを誰かと分かち合うこと。それは、文化を継ぐことでもあり、心を耕すことでもあります。

私たちは、伝統を守るのではなく、育てていきたいと考えています。清少納言が筆をとったように、今を生きる私たちも、自分の言葉で季節を描き、感情を編み、記憶を残していく。その営みこそが、文化の根を深くするのではないでしょうか。

WABISUKEの空間や製品、文章のひとつひとつが、そんな“をかし”の感覚を呼び起こすものでありたい。静かな時間の中で、ふと心が動く瞬間──それを大切にすることが、私たちの哲学です。

清少納言は、ただの貴族ではありませんでした。彼女は、感性の探求者であり、言葉の職人でした。千年の時を越えて、彼女の文章が今も生きているのは、そこに「心の動き」があるからです。

私たちもまた、日々の中で“をかし”を見つけ、言葉にしていきたい。季節の香り、光の揺らぎ、人の気配──それらを感じる力を、ものづくりや空間づくりに込めていきたい。

清少納言のまなざしに学びながら、WABISUKEはこれからも、「美しいものを、美しいと感じる心」を育てる場であり続けます。