STORIES

  • 脚下照顧 (きゃっかしょうこ) 足元を照らすということ

     脚下照顧(きゃっかしょうこ)— 足元を照らすということ ふと立ち止まった朝に、心を整える言葉 「脚下照顧」とは、「自分の足元をよく見なさい」「今ここを見つめなさい」という意味の禅語です。 禅寺の玄関に掲げられることも多く、靴を脱ぐその瞬間に、自分自身を見つめ直すよう促されます。 ...
  • 今日の季語  秋光 (しゅうこう)

     今日の季語:秋光(しゅうこう) 光が、季節の輪郭をやさしくなぞる。 秋の光は、夏のような強さではなく、どこか柔らかく、静かで、ものの輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。 木々の葉は、光を透かして黄金色に染まり、影は長く、ゆっくりと伸びていく。その光の中に、時間の流れが見えるような気がする。...
  • 色暦 10月13日の色  藤煤竹 (ふじすすたけ)

    色暦|10月13日の色:藤煤竹(ふじすすたけ) 紫がかった煤色。それは、秋の夕暮れに差す一瞬の陰影。 藤のやわらかさと、煤竹の渋みが重なり、静かな余韻と知性を感じさせる色です。 華やかさのあとに訪れる、曖昧で美しい時間。今日という日が、誰かの思索を深める色になりますように。
  • 喫茶去 (きっさこ) 茶でも一服、心のままに

     喫茶去(きっさこ)— 茶でも一服、心のままに 風が少し冷たくなった午後、あなたに届けたい禅語があります。 「喫茶去(きっさこ)」——意味はとてもシンプル。「まあ、お茶でもどうぞ」。でもこの言葉には、禅の深い哲学が静かに息づいています。 すべての人に、分け隔てなく この言葉は、唐の時代の禅...
  • 月のかけらを首にかける  勾玉に宿る魂のかたち

    月のかけらを首にかける — 勾玉に宿る魂の形 古代の人々は、なぜ「かけた形」に惹かれたのでよろしくお願いします。勾玉(まがたま)は、完全ではないその形にこそ、命の循環と魂の余白を宿しています。  勾玉とは何か 勾玉は、縄文から使われ続けた装飾品であり、護符であり時代、祈りの形です。 • ...
  • 三種の神器に宿るこころ  鏡.剣.勾玉の物語

    三種の神器に宿るこころ — 鏡・剣・勾玉の物語 日本神話には、三つの宝物が登場します。 それは「鏡」「剣」「勾玉時代」です。 八咫鏡(やたのかがみ)— 真実を映すもの 鏡は、天照大神が岩戸に隠れたとき、外へ誘うために使われたとされる神器。 • 象徴するもの:知恵、一歩、自己認識• 色のイ...
  • いのちを愛づる科学者  中村桂子さんの生命誌

      いのちを愛づる科学者──中村桂子さんの生命誌 秋の露寒(つゆさむ)に、ふと「生きるとは何か」と思いを馳せることがあります。そんな問いに、やさしく、深く、そして詩のように答えてくれる科学者がいます。それが、中村桂子さん──生命誌研究者として、科学と人間のあいだに橋をかけ続けてきた方です。...
  • 華道という名の静かな革命  花に託された美と哲学の系譜

    華道という名の静かな革命 ― 花に託された美と哲学の系譜 「花を生ける」とは、ただ美を飾る行為ではない。 それは、自然と人のあいだに橋を架け、時代と精神を結ぶ、静謐なる芸術である。 華道の起源:神と花のあいだに 華道の源流は、古代のアニミズム的信仰にまで遡る。 草木に神が宿ると...
  • 何者でもない美の人  青山二郎という謎

      何者でもない美の人──青山二郎という謎 「肩書きのない人間になりたい」そう語った青山二郎は、評論家でも装幀家でもなく、ただ「美を観る人」だった。彼の生き方は、まるで季語のように、時代の空気を纏いながらも、決して説明しきれない余白を残している。 美の眼──李朝陶磁と骨董への情熱 青山は、柳...
  • 今日の季語  野分 (のわけ)

     今日の季語:野分(のわけ) 風が、季節の境界を揺らしていく。 野分とは、秋に吹く強い風。台風の余波や、季節の変わり目に現れるこの風は、ただ荒れるだけではなく、空や草木に深い余白を残していく。 庭の木々がざわめき、落ち葉が空を舞う。その一瞬の騒がしさの中に、静けさが潜んでいる。 源氏物語で...
  • 色暦 10月12日の色 萱草色 (かんぞういろ)

    色暦|10月12日の色:萱草色(かんぞういろ) 忘れ草とも呼ばれる萱草(カンゾウ)の花。その橙色は、悲しみを忘れさせるという古の言い伝えを持ちます。 萱草色は、黄丹よりもやわらかく、夕暮れの空に溶けるような、静かな希望の色。 誰かの心に、そっと寄り添うように。言葉にならない感情を、やさしく...
  • 縄文は爆発だ  岡本太郎と、原始の美に触れる

    縄文は爆発だ:岡本太郎と、原始の美に触れる 「なんだこれは!」―1951年、東京国立博物館で縄文土器に出会った岡本太郎は、叫んだ。それは、静かな展示室に響いた、魂の爆発だった。 岡本太郎が見た「縄文の美」 縄文土器は、ただの古代の器ではない。それは、生命のうねりであり、造形の叫びであり、美...