借景という思想ー円通寺から眺める『無』と『永遠』

借景という考え方──円通寺から眺める「無」と「永遠」

京都・洛北。争い騒ぎから一歩離れた幡枝の地に、ひっそりと佇む円通寺。
ここには、ただ美しいだけではない、考えとしての庭がある。

比叡山を借景に取り入れた枯山水庭園──それは、江戸初期以降の水尾上皇が自らの美意識と哲学を託した空間。
庭の奥に稜線は、ただの背景ではない

「無」を描く庭──苔と石と空白の構成

円通寺の庭は、平庭式の枯山水。
苔に包まれた静寂の中に、約40の石が配されている。その
配置は、中心を高くするのではなく、脇侍石が高くなるという意表を突く構成。これは
、中心を空けることで「無」を描くという考え方は現れないかもしれない。

庭の手前には何もない空間が広がる、奥に石組がある。 この
「空白」は、見る人の心を映す鏡となり、借景の比叡山と響き合う。

借景という継承──比叡山と京都の景観条例

この庭園の借景を守るため、京都市は景観条例を定めた。 それ
は、400年続く美を未来へと手渡すための決意。
円通寺の庭は、ただの風景ではない。
それは、官民がそのまま守りた「思想の風景」なのだ。

WABISUKEのまなざし──借景に学び、継承と共鳴

WABISUKEが目指すのは、ただのブランドではない。
それは、時代を超えて響き合う「哲学の器」。
円通寺の庭が教えてくれるのは、貸すことで世界が広がる。 自ら主張する
のではなく、他者と共鳴することで生まれる美しさ。

比叡山を借りて庭を完成させたように、私たちもまた、時代や文化を借りながら、未来へ美を紡ぎ続ける。

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