海を越えたまなざし  鑑真と、日本に根づいた光

 

海を越えたまなざし — 鑑真と、日本に根づいた光

「わたしは、ただ、渡りたい。」

そう願ったひとりの唐の僧がいた。
六度の渡航に挑み、五度の失敗を重ね、ついには両眼の光を失ってなお、彼は東の海を渡った。
その名は、鑑真(がんじん)。奈良時代、天平の空に、静かにして確かな光をもたらした人物である。

風に祈り、波に誓う

鑑真は、唐の揚州大明寺に住し、律宗の高僧として名を馳せていた。
当時の日本は、仏教の教えを深く学び、正しい戒律を求めていた。
幾度となく派遣された遣唐使たちは、真の戒律を授けてくれる師を探し求め、ついに鑑真のもとを訪れる。

「日本に渡り、戒律を授けていただけませんか。」

その願いに、鑑真は即座に応じた。
それは単なる教義の伝達ではなく、仏教の精神を日本の地に根づかせるという、深い決意の表れだった。
しかし、海は容易には道を開かない。
第一回目の渡航は、嵐により失敗。
第二回目は、弟子の裏切りにより中断。
三度目、四度目、五度目も、自然の猛威や人の思惑に阻まれ、すべて失敗に終わる。
その過程で、鑑真は両眼の光を失う。

だが、彼の心の光は、決して消えることはなかった。

「仏の道を伝えるためならば、目が見えずとも、心で道を照らせる。」

この言葉に、彼の覚悟と慈悲の深さがにじむ。
彼にとって「渡る」とは、ただ物理的に海を越えることではなかった。
それは、信念をもって未知の地へと歩みを進める、精神の旅路でもあった。

唐招提寺という「祈りのかたち」

六度目の航海。
数々の困難を乗り越え、ついに鑑真は日本の地を踏む。
その地は、奈良。
彼はここに、唐招提寺(とうしょうだいじ)を開く。

唐招提寺の伽藍は、ただの建築物ではない。
それは、風土と精神の交差点であり、祈りのかたちを具現化した空間である。
瓦の一枚一枚に、海を越えてきた祈りが宿り、柱の一本一本に、異国の風が吹き込んでいる。
その佇まいは、今もなお、訪れる人々の心を静かに包み込む。

鑑真が日本にもたらしたのは、戒律という「型」だけではなかった。
彼が伝えたのは、日々の暮らしの中に宿る美しさ、静けさ、そして誠実さである。
それは、のちの茶道や建築、布の意匠、庭園の設計、そして人と人との関わり方にまで影響を与え、日本文化の深層に静かに息づいていく。

たとえば、唐招提寺の金堂に差し込む朝の光。
その柔らかな光は、ただ空間を照らすだけでなく、心の奥底にある静けさを呼び覚ます。
それは、鑑真が見たかったであろう「光」そのものかもしれない。

見えないものを信じる力

現代は、情報があふれ、価値観が目まぐるしく移ろう時代である。
目に見えるもの、数値化できるものが重視され、目に見えないものは、しばしば軽んじられる。
だが、私たちは本当に、見えるものだけを信じて生きていけるのだろうか。

鑑真の生き方は、そんな問いを私たちに投げかける。
彼は、視力を失ってもなお、心の目で道を見つめ、信じるもののために歩みを止めなかった。
その姿勢は、現代を生きる私たちにとって、静かで力強いメッセージである。

「見えなくとも、信じて進む。」

この言葉は、単なる精神論ではない。
それは、日々の営みの中で、目に見えぬものを大切にするという、具体的な生き方の提案である。
たとえば、誰かのために淹れる一杯のお茶。
そこに込められた思いやりは、目には見えないが、確かに伝わる。
あるいは、手仕事で織られた布の中に宿る、時間と記憶の層。
それもまた、目に見えぬ光を放っている。

WABISUKEが紡ぐ、静かな灯火

WABISUKEが手がける布や言葉もまた、目に見えぬ記憶や想いを織り込むものだ。
それは、単なる商品ではなく、誰かの暮らしに寄り添い、静かに語りかける存在である。
一枚の布に込められた色、手触り、かすかな揺らぎ。
それらは、鑑真が伝えた「誠実さ」や「静けさ」と共鳴している。

私たちは、鑑真のように海を越えることはないかもしれない。
だが、日々の暮らしの中で、見えないものを信じ、誰かのために祈るように手を動かすことはできる。
その積み重ねが、やがて文化となり、未来へと受け継がれていく。

鑑真の物語は、過去の偉人伝ではない。
それは、今を生きる私たちへの静かな灯火であり、問いかけである。
「あなたは、何を信じて、どこへ渡ろうとしているのか」と。

祈りは、かたちを超えて

唐招提寺の境内を歩くと、風がそっと頬をなでる。
その風は、千年以上前に海を越えてきた祈りの名残かもしれない。
瓦の波紋、木々のざわめき、苔むした石畳。
すべてが、静かに語りかけてくる。

「見えなくとも、伝わるものがある」と。

WABISUKEが紡ぐ物語もまた、そうありたいと願っている。
目に見える美しさの奥に、目に見えぬ想いが宿るように。
時を超え、海を越え、人の心にそっと触れるように。

鑑真のまなざしは、今もなお、私たちの中に生きている。
それは、光を失ってなお、世界を照らし続けた、ひとつの魂の記憶。
そして、私たちが紡ぐ未来の文化に、静かに息づいていく。


 

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