模様から模様を作るべからず 富本憲吉と色と言葉の詩学
模様から模様を作るべからず──富本憲吉と色と言葉の詩学

「模様から模様を作るべからず」。
この言葉に出会ったとき、私は静かに背筋を正した。富本憲吉が遺したこの一文は、単なる陶芸家の信条ではなく、創作に携わる者すべてに向けられた、静かな問いかけのように響く。模様とは何か。意匠とはどこから生まれるのか。私たちは、すでにある美しさをなぞってはいないか。富本のこの言葉は、惰性や形式主義への警鐘であり、創作の原点への回帰を促す灯火でもある。
富本憲吉は、明治十九年、奈良の安堵村に生まれた。東京美術学校で図案を学び、ロンドンに渡ってウィリアム・モリスやアーツ・アンド・クラフツ運動に触れた彼は、帰国後、バーナード・リーチとの出会いを契機に陶芸の道へと進む。白磁、染付、色絵──そのどれもにおいて、彼は単なる技術の追求ではなく、模様に宿る詩情を探し続けた。彼の作品には「竹林月夜」「大和川急雨」「羊歯」「四弁花」など、まるで短歌や俳句のような名前が添えられている。それらは、模様が単なる視覚的装飾ではなく、自然の気配や心象風景を映し出す“詩のかたち”であることを物語っている。
富本が「模様から模様を作るべからず」と語った背景には、当時の工芸界に蔓延していた図案の反復への違和感があったのだろう。既存の意匠をなぞり、形式だけを整えることに満足してしまう風潮。そこには、自然や生活から立ち上がる感動が欠けていた。富本は、模様とは自然の中にあるリズムや構造、あるいは心の中に浮かぶ情景を、かたちとして定着させたものであると考えていた。だからこそ、彼の模様はどこか不思議な余白を持ち、見る者の記憶や感情を静かに揺さぶる。
私はこの姿勢に、WABISUKEが日々綴っている「色暦」との共鳴を感じずにはいられない。WABISUKEの色暦は、製品に色名をつけるものではない。むしろ、色そのものを詩的に見つめ直し、日本の伝統色に宿る季節の気配や土地の記憶を、ことばとしてすくい上げる営みである。たとえば「白藤鼠」には、春の終わりに咲く白藤の儚さと、鼠色の静けさが重なっている。「霜夜の青」には、冬の夜に張り詰めた空気と、その奥にある静謐な光が宿っている。これらの色名は、単なる色彩の記述ではなく、季節の移ろいや風の音、記憶の断片をことばに託した“色の詩”である。
富本の模様づくりには、自然を観る目が欠かせなかった。彼は竹林の葉の重なりや、雨のしずくの軌跡、羊歯の葉脈の繰り返しといった、自然の中にある無意識の美をすくい上げ、それを模様に昇華させた。そこには、自然をただ写すのではなく、自然と対話し、そこに潜むリズムや構造を読み解く眼差しがある。模様とは、自然の断片を切り取ることではなく、自然の呼吸をかたちにすることなのだ。
また、富本は模様と言葉の共鳴にも敏感だった。彼の作品に添えられた詩的なタイトルは、模様の意味を限定するのではなく、見る者の想像力を喚起する装置として機能している。模様と言葉が互いを照らし合うことで、作品は単なる視覚的対象を超え、記憶や感情と結びついた物語となる。これは、WABISUKEの色暦が色名に添える短い詩や語りとまったく同じ構造を持っている。ことばと色、色と記憶──それらが交差する場所に、詩的意匠は生まれる。
富本の模様は、生活の中にある詩情をすくい取る営みでもあった。彼の器は、日常の中で使われることを前提としている。だからこそ、模様もまた、生活のリズムや季節の移ろい、家族の記憶といった暮らしの詩を映し出す必要があると考えた。これは、WABISUKEが「色を通して季節を感じ、記憶をたどる」ように、日々の暮らしに寄り添う色暦を綴っている姿勢と重なる。詩的意匠とは、生活の中にある詩情をすくい取り、かたちにすること。富本の模様も、WABISUKEの色暦も、その営みの中にある。
模様とは、記憶のかたちである。詩的意匠とは、感動の痕跡である。富本憲吉の言葉に耳を澄ませながら、私たちは今日もまた、自然を見つめ、生活を慈しみ、心の奥にある感動をすくい取る。模様から模様を作るのではなく、感動から模様を生み出す。その営みこそが、詩的なものづくりの原点なのだと思う。富本の模様に導かれながら、私たち自身の色と言葉の意匠を、これからも静かに、丁寧に、綴っていきたい。