上品とストリートの交差点。
上品とストリートの交差点。

上品とは、決して“静かで控えめなもの”だけを指す言葉ではない。
そしてストリートとは、ただ“自由でラフなもの”を意味するわけでもない。
この二つの言葉は、しばしば対極として語られる。
しかし、私たちが日々の暮らしの中で感じている美しさは、もっと複雑で、もっと曖昧で、もっと人間的だ。
上品さの中にある野性。
ストリートの中に潜む品格。
その境界線がふと溶け合う瞬間に、私たちは「本当の美しさ」を見つけるのではないだろうか。
WABISUKEが大切にしているのは、まさにその“交差点”で生まれる感情である。
■ 上品さとは「姿勢」であり、ストリートとは「呼吸」である
上品さとは、外側の装飾ではなく、内側の姿勢だ。
ものを丁寧に扱うこと。
人を尊重すること。
自分の心の動きを静かに見つめること。
それらはすべて、上品さの根にある。
一方でストリートとは、もっと身体的で、もっと即興的で、もっと“生きている”感覚に近い。
風のように自由で、音楽のようにリズムがあり、日常の中にある「今」を掴み取る力だ。
この二つは本来、矛盾しない。
むしろ、互いを補い合う。
姿勢があるからこそ、自由が生きる。
呼吸があるからこそ、品格が宿る。
WABISUKEのプロダクトが目指しているのは、まさにその状態だ。
■ 京都という街が教えてくれる「静けさと雑踏の共存」
京都は、上品とストリートが自然に混ざり合う街だ。
早朝の寺院に漂う静寂。
夕暮れの商店街に響く生活の音。
観光客で賑わう通りのすぐ裏にある、誰もいない細い路地。
古い町家の壁に映る、スケートボードの影。
京都の美しさは、静と動、古と新、上品とストリートが、互いを否定せずに共存しているところにある。
WABISUKEが京都を拠点にしているのは、単なる地理的な理由ではない。
この街の空気そのものが、ブランドの哲学と深く響き合っているからだ。
■ プロダクトに宿る「上品なストリート」
WABISUKEのがま口や小物たちは、一見すると上品で静かな佇まいをしている。
しかし、その奥には確かに“ストリートの息遣い”がある。
- 伝統的な素材を使いながら、あえて大胆な色を選ぶ
- 古い技法を守りながら、現代的なフォルムに落とし込む
- 丁寧な縫製の中に、遊び心を忍ばせる
それはまるで、静かな茶室の中でスニーカーを履いているような感覚だ。
違和感ではなく、むしろ「新しい調和」が生まれる。
上品さは、ストリートの自由によって軽やかになる。
ストリートは、上品さの静けさによって深みを得る。
その交差点に立つプロダクトは、単なる“もの”ではなく、持つ人の感情や姿勢を映し出す鏡になる。
■ 「上品とストリートの交差点」は、実は私たち自身の中にある
私たちは、日常の中で常に二つの感覚を行き来している。
丁寧に暮らしたいと思う自分。
自由に生きたいと願う自分。
静かに整えたい日もあれば、衝動のまま動きたい日もある。
誰かに優しくしたい時もあれば、自分のリズムを優先したい時もある。
その揺らぎこそが、人間らしさだ。
だからこそ、上品とストリートは対立しない。
むしろ、私たちの中で自然に混ざり合い、日々の選択や感情を形づくっている。
WABISUKEのプロダクトは、その揺らぎを肯定するために存在している。
どちらかに寄せるのではなく、どちらも抱きしめる。
そのための“余白”を持ったものづくりを続けている。
■ 交差点に立つと、世界は少しだけ美しく見える
上品とストリートの交差点に立つと、世界の見え方が変わる。
- 古いものが新しく見える
- 新しいものが深く見える
- 日常が少しだけドラマチックに感じられる
それは、視点が変わるからだ。
上品さは、世界を丁寧に見つめる目をくれる。
ストリートは、世界を自由に楽しむ心をくれる。
その二つが重なると、日常の中にある小さな美しさが、ふっと浮かび上がる。
例えば、朝の光ががま口の金具に反射する瞬間。
例えば、街角で見かけた若者のファッションに、伝統的な色の組み合わせを見つけた時。
例えば、ふと手にした布の手触りが、昔の記憶を呼び起こす時。
交差点に立つと、世界は少しだけ優しくなる。
■ WABISUKEがこれから育てていく「新しい上品さ」
これからの時代の上品さは、静けさだけでは語れない。
自由さだけでも語れない。
大切なのは、どちらかを選ぶことではなく、どちらも自分の中にあると認めることだ。
WABISUKEは、これからもその“交差点”を育てていく。
京都の空気をまといながら、現代のリズムを取り込み、上品さとストリートの新しい関係を探り続ける。
それは、文化を育てるという姿勢そのものだ。
ものづくりを通して、人の心の中にある揺らぎや余白を肯定し、そっと寄り添う。
そんなブランドでありたいと願っている。